10月号 Vol.353【秋の恵みと信仰の実り】

Written by 藤浪義孝牧師
一方、この月はアメリカではハロウィンで知られています。その起源は古代ケルト人の収穫祭「サウィン」にさかのぼります。彼らは一年の終わりである10月31日に火をたき、悪霊を避けるため仮面をかぶりました。これが今日の仮装の原型です。その後、キリスト教会が11月1日を「諸聖人の日」と定め、その前夜祭(All Hallows’ Eve)が「ハロウィン」と呼ばれるようになりました。
しかし現代のハロウィンは、死や闇、恐怖を楽しむ娯楽的な行事へと姿を変えています。もちろん地域社会の子どもたちの交流の場ともなっていますが、そこには本来の意味を見失った危うさもあります。聖書は私たちを「世の光」と呼びます(マタイ5:14)。闇が強調される時期だからこそ、恐怖や闇ではなく、神の愛に生きる者として安心と光を放つことが求められています。
社会に目を向けると、FBIの統計では殺人や強盗などの暴力犯罪は全体的に減少しています。しかし一方で、家庭内暴力や報告されにくい性犯罪、サイバー犯罪などはむしろ増加しています。表面的な数字では治安が改善しているように見えても、見えない部分に深い痛みや被害が隠れているのです。日本でもいじめの陰湿化や家庭内暴力が深刻化し、人の心の闇が社会全体を覆っています。聖書は「人の心は陰険で、それは治らない」(エレミヤ17:9)と語ります。この現実を直視する時、私たちは人間の努力だけでは解決できない罪の深さを思わされます。
だからこそ、教会は希望の光を示す場として存在するのです。教会は単なる集会所や宗教活動の拠点ではありません。そこは、神の愛と隣人愛を実際に体験できる他にはあまり見られない温かな共同体です。互いに祈り合い、助け合い、赦し合う中で、神の国を少しでも先取りする場所なのです。そしてこの共同体に属する人々には、日常生活の中で神の国に生きる姿を示す使命が与えられています。家庭で、職場で、学校で、社会のあらゆる場で、私たちは神の愛を証しする生き方へと招かれています。
今は、教会が自らの姿を振り返り、新しい歩みを始めるのにふさわしい季節です。私たちは礼拝で「ヤコブの手紙」を読み進めています。ヤコブはイエスの弟でしたが、当初は信じず「気が狂った」とさえ思っていました。しかし、復活のイエスに出会って人生は一変し、初代教会の指導者となりました。迫害の中でも信仰を貫き殉教した彼の手紙は、今を生きる私たちにも大きな励ましを与えます。
ヤコブの書簡には四つの大きなテーマがあります。
第一は試練への応答です。
ヤコブは「さまざまな試練に会うとき、それを喜びと思いなさい」と語ります(1:2)。これは苦しみを軽んじることではなく、試練を通して忍耐が養われ、信仰が成熟していくことを意味します。農夫が雨を待ちながら収穫を信じて種をまくように、困難を通しても希望を見いだせるのです。
第二は差別なき愛です。
初期教会には裕福な人と貧しい人が共に集まっていましたが、ときに扱いに差が出ることがありました。ヤコブは「神はこの世の貧しい人を選ばれた」と語り、社会的・経済的な差によって人を区別することを厳しく戒めました(2:5)。立場や財産に関係なくすべての人を尊び合い、互いに仕えることが信仰共同体の本来の姿です。
第三は信仰と行いです。
ヤコブは「行いのない信仰は死んでいる」と断言します(2:17)。ここでの行いとは律法主義的な義務ではなく、神を信じる心から自然に生まれる愛の実です。信仰は頭の中の理念ではなく、生活の中で表れるものです。困っている人に声をかけ、手を差し伸べる――その小さな行動こそが「本物の信じる心」の証なのです。
第四は言葉の力です。
舌は小さな器官ですが、火のように大きな影響を及ぼすとヤコブは語ります(3:5–6)。不用意な一言が人を深く傷つけ、共同体を壊すこともあります。しかし反対に「ありがとう」「大丈夫」という励ましの言葉は人を立ち上がらせます。信仰を持つ者は、言葉を慎み、平和と慰めをもたらす器となるよう招かれています。秋の実りを手にするとき、私たちは神からの恵みを思い起こします。同じように、私たちの言葉や行い、そして隣人への仕えが、神の愛の実りとなって社会に表れていきます。恐れや闇に包まれることの多い時代ですが、世の光として神の愛を証しする歩みを共に続けてまいりましょう。
今月の証
「神の恵みにより生かされる」
ハレルヤ!96歳の誕生日を10月12日に迎えます。永遠の命を与えられ、神の恵みにより生かされていることを心から感謝致します。私の日課は、朝の デボーションから始まるのですが、デボーションをした時としなかった日では、まったく一日が違うことを体験しているので、まず大きな声で「天のお父様、生きてます!ありがとう」と感謝するのです。聖書を開き、みことばから数々のことを導かれ、祈るのです 人生は、年数だけでは語れないと思います 信仰によって語られる人生があり、神様がさまざまな方法で働いて下さることを、ただ嘆かず、素直に受け入れる。
残りの人生を有意義に過ごすには、どうすれば良いのだろう?と考える時があります。日に日に成人病が進行していくのも感じます。年を重ね、体が弱っても頭の内では、主からの恵みの数々を一つ一つ思い出します。感謝していると、愛の神様は全部を取る事はなさらないのです。“口と手”がある以上、まだまだ出来ることはあるのです。そこに神の力や支えがあるので、困難な状況の時などに感謝するようシフトすることが出来るのです。
聖歌604番「望みも消えゆくまでに」の歌詞
1世の嵐に悩む時、数えてみよ主の恵み、なが心は安きをえん 数えよ主の恵み、ひとつづつ数えてみよ 主の恵み 2主のたまいし十字架をにないきれずしずむ時、数えてみよ主の恵み、つぶやきなどいかであらん 数えてみよ 主の恵み」昨日と同じように過ごした今日であっても、昨日は昨日、一度きり。かけがえのない今日も一度きりなのです 無駄に過ごすのは勿体ないので今日一日を精いっぱい生きられようにと思っています。神様のなさることは、すべて良し、と信じて御旨のままに、生きていくところに希望があることを信じています。私達にそれを可能にして下さるのは十字架の主イエスキリストです。主にすべての栄光がありますよう祈っています。
「私は山々に向かって目をあげる 私の助けはどこからくるのか 天と地を造られた主のもとから」詩篇121篇2節,3節
編集後記
先日礼拝で、90歳以上の方のお名前が呼ばれました。10名の方がお元気に教会生活を営んでいます。「私たちの齢は70年。健やかであっても80年 そのほとんどは労苦と災いです。瞬く間に時は過ぎ 私達は飛び去ります」(詩篇90篇10節)先輩方が経験された多くの苦労も今、主の前で美しい思い出と変えられ、天使のような顔に変えられていく様を見せていただき、年を重ねることの幸いを感じる日々です。いつまでも良き証人として私たちの前を歩いていただきたいです。【玉寄朋子】
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