11月号 Vol.354【感謝の心を取り戻すとき】

Written by 藤浪義孝牧師
英国の新聞『ガーディアン』の記者、スチュアート・ジェフリーズ氏は、「なぜ私たちは、選択肢が多すぎることに疲れてしまうのか」という記事を書きました。「選択肢がまったくない」とき、無力感を覚えることは誰でも知っています。けれど、実は「選択肢が多すぎる」ときも、同じように疲れ、混乱してしまうのです。
たとえば、「今日は映画でも見よう」と思ったとします。でも、どこで見ますか? ネットフリックス? AppleTV? Amazon? Hulu? Roku? YouTube? それとも有料チャンネル?さらに、スマホ? タブレット? ノートパソコン? テレビ?たった一本の映画を見るのに、十三もの選択肢があります。決めるまでに時間がかかり、気がつけば心は休まるどころか、むしろ疲れてしまいます。
ジェフリーズ氏はこう書いています。「一般的には、選択肢が多いことは良いことだと言われています。自由や責任、自立などを与えるからです。けれど、スーパーの棚に並ぶ無数の水のボトルを前に、どれを選ぶか迷って立ち尽くし、ますます喉が渇いていくとき、その“自由”はあまり助けになりません。」そして彼はこう指摘します。「選択肢が増えるほど、後悔や自己嫌悪、そして“あっちを選べばよかったかもしれない”という思いが増え、人を不幸にするのです。さらに悪いことに、選択肢の多さは私たちの“期待値”をどんどん上げてしまいました。」
つまり、選択肢が多ければ多いほど、私たちは幸せになれるどころか、むしろ「満足できない心」を持つようになるのです。これが現代社会の大きな パラドックス(逆説)です。物はあふれているのに、心は渇いている。便利さは増したのに、感謝は減っている。
そんな私たちにこそ、「感謝祭(Thanksgiving)」の原点を思い起こすことが大切です。感謝祭は、1621年、アメリカ東部プリマスで行われた小さな収穫感謝の祈りに始まりました。嵐と寒さに耐え、長い航海を終えたピルグリム(清教徒)たちは、新しい地での最初の冬に多くの仲間を失いました。
しかし、先住民ワンパノアグ族の助けを受けて土地を耕し、初めての実りを得たとき、彼らはその恵みを神に感謝し、隣人と分かち合いました。それが最初の「Thanksgiving Day」「感謝の日」でした。飢えと悲しみの中からささげられた、心からの「ありがとう」。それがこの祝日の本当の始まりなのです。
その後、感謝祭はアメリカ全土に広がり、1863年、南北戦争の最中にアブラハム・リンカーン大統領は感謝祭を国の祝日として制定し、こう宣言しました。「たとえ困難の中にあっても、私たちは神の恵みを数え、感謝の心を忘れてはならない。」まさに、「感謝は状況の結果ではなく、信仰の選択である」というメッセージです。私たちは、これまでのどの時代よりも多くの物に囲まれ、便利な生活を送っています。
けれど同時に、比較や焦り、孤独や不安が広がっているのも現実です。その理由の一つは、「感謝を忘れてしまったから」ではないでしょうか。感謝は、心に平安を取り戻すための霊的な習慣です。感謝することで、私たちは「持っていないもの」から「すでに与えられているもの」へと視点を移すことができます。感謝とは、「主よ、これで十分です。あなたがいれば十分です」と告白する心です。
パウロは「すべてがうまくいくときに感謝しなさい」とは言いません。「どんな状況にあっても感謝しなさい」と言っています。感謝とは、持っている量ではなく、神への信頼の質なのです。比較することをやめ、感謝するとき、私たちは自由になります。
追い求めることをやめ、神の恵みにとどまるとき、心は安らぎます。そして「ありがとう」と言うとき、私たちは気づきます。家族も、教会も、日々の糧も、息をすることさえも、すべてが恵みであることを。
今年の感謝祭を迎える月に、次のものを求める前に、こう祈ってみましょう。「主よ、すでに与えられている恵みを感謝します。」選択の疲れや、心の迷いを癒す方法は、「もっと多くの選択肢」ではなく、「もっと多くの感謝」です。
感謝は、過去を思い出させ、今を豊かにし、未来への信頼を生み出す、神がくださる最高のギフトです!
「ふるさとをめぐる旅」
日本での7年間を終え、ハワイに帰り1年半が経ちました。夫と共に過ごした日本での日々が、今になってより尊く思い出されます。わたしは義理の両親と過ごすため、夫と一緒に彼の故郷・北海道に住み、義父母を天へと見送りました。92歳で天に召された義父は、認知症の症状が現れる前に受洗し、92歳の義母は亡くなる半年前に受洗しました。
その後、わたしの故郷・東京に移り、夫と共にわたしの両親と同居しました。98歳の父と85歳の母とイエスさまを信じて過ごした日々は、かけがえのないひとときでした。義両親と両親、二つの家族と過ごす中で、わたしは**「いのちの重み」と「時間の尊さ」を深く心に刻むようになったのです。
歳をとっても「こうあるべき」と自分を縛らず、
幾つになっても新しいことに心を開き続けることです。
日本での日々には、悲しい思い出もありましたが、それらはすでに神さまに委ねました。そうした日々を経て、自然と心に問いが生まれてきました。元気に動ける今の時間をどう生きればいいのか。やがてできなくなることを、どう受け入れていけばいいのか。そして次の世代に、どうやって神さまの愛を伝えていけばいいのか。今という季節は特別で、「今だからできること」「今だから学べること」があるのだと気づかされました。
“神さまに育まれて” 教会の奉仕でも成長していきたいと願っています。英語部との交わりで英語を学び、アメリカの文化や価値観にも触れて奉仕に生かせるようにしています。30年前に行われた英語部の「ワンオハナ」のイベントのリバイバルに関わることができ感謝でした。また、ゴスペルフラに戻れたことも大きな喜びです。フラの基礎がなかったので、今はコミュニティクラスでも練習しています。本格的なハラウ(教室)で学び、ゴスペルフラにつなげて神を賛美できたらどんなに感謝なことでしょう。
もうひとつ大切にしたいのは、夫との時間です。10年後には夫は81歳、わたしは71歳。その頃には、わたしが夫をケアする日が来るかもしれません。今は、二人で元気に過ごせる日々を大切にしたいのです。わたしたちがハワイで再出発できたのも、教会の家族がいてくださったからで、心から感謝しています。
やがて体の弱さを覚え、できないことを手放す時も来るでしょう。でも神さまは、これまでもわたしを砕き、造り変えてくださったように、これからも導いてくださると信じています。そして、その恵みに応えて若い世代を支える者でありたいと思います。
わたしが願うのは、歳をとっても「こうあるべき」と自分を縛らず、幾つになっても新しいことに心を開き続けることです。柔らかさをもって信仰を表していくことが、教会の若さを保つ力になるのではないでしょうか。そのように、与えられたいのちと時間を大切にしながら、神さまがわたしを日々新しく変えてくださいますように。
最後に、天の「ふるさと」で主にお会いできる日を、希望をもって待ち望んでいます。
「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」(ヘブル人への手紙11章16節)
編集後記
11月の声を聞くと「うそ!もう一年??」と時が経つことの速さに驚きます。そして感謝祭が近づくと、今年もお元気な宍戸兄の顔を見て嬉しくなるのです。肝臓移植から30年。ここ数年は毎年「今年が最後のターキー焼きになるかも」とおっしゃるのですが、まだまだあと10年は大丈夫なような気がします。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は120年にしよう 創世記6章3節」神様がこのようにおっしゃっているのですから、しばらくは美味しいターキーが毎年いただけます!【玉寄朋子】
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