
5月号 Vol.348【Happy Mother’s Day!】

Written by 藤浪義孝牧師
毎年訪れる「母の日」― もし専業主婦が日常営んでいるすべての仕事に対して給与が支払われるとしたら、その金額はいくらになるのでしょうか。
アメリカで以前「お母さんの給与調査」が実地されました。 パンデミック発生以来、19,000人以上のお母さんたちを対象に調査を実施し、お母さんが日常的に行っているすべての仕事のリアルタイムの市場価格を追跡することで、お母さんの仕事の価値を推定しました。 専業主婦は平均して週に106時間も働いておられ、1日15時間、週7日働いている専業主婦の母親の1年間の平均年収は184,820ドルでした。この値は、パンデミック前の平均年収を6,619ドル上回る額です。
その上、過去1年間の業務の激化に伴うボーナス、残業代、危険手当などの企業が支給する給与上乗せ分を考慮すると、専業主婦の母親の年収は20万ドルを超える可能性があるというのです。私たちの誰もが同意できると思いますが、お母さんたちの価値は金額でとうてい測り知ることなどできません。
共働きのお母さんや母子家庭のお母さんに関する 調査データ(2020年−2021年)によりますと、彼女たちは外で働く時間に加えて、家庭内のことを管理するために平均して週54時間を費やしていることがわかりました。 すべてを合計すると、お母さんたちは、仕事と家庭の両方で週に合計107時間を費やしていることになります。彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧を運んで来る。彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、手に糸巻きをつかむ。彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。彼女は家の者のために雪を恐れない。家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。彼女は自分のための敷き物を作り、彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている。夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。彼女は亜麻布の着物を作って、売り、帯を作って、商人に渡す。彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、【主】を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。」(箴言31章10-31節)
「石に布団は着せられず」ということわざどおり、親孝行できるのは親が生きている間だけです。どうか「母の日」のこの月、あなたのお母さんに感謝の気持ちが伝わるメッセージを差し上げてください。


そして今、私の母親は目の前で死のうとしている。「お前は孤独で、誰からも愛されず、価値がない、呪われている」と、どこからか怒鳴る声が聞こえてきました。その時、私は全身全霊で「神よ!」と叫びました。するとすぐに、光と愛に包まれ、暖かさが全身に広がっていくのを感じました。
まるで初めて愛する父に抱かれているかのように。嘘を浴びせる声も、耐え難い痛みも、苦悩も、溺れそうな絶望も、一瞬にして消え去っていきました。 その代わりに、神が私を愛しているという深い確信を感じました。私の内側に神の存在を感じることができました。やがて、私の肩に手が置かれていることに気がつきました。後ろを見ると、白い服を着た女性がいました。彼女は微笑み、神が私を愛し、私の声を聞いておられることを優しく教えてくれました。そして、母のために祈りなさい、母もきっと大丈夫だと言ってくれました。私は母の手を握って祈りました。すると母は呼吸を始め、動き出しました。私は、神が私の祈りに答えてくださったことを知りました。 その日、私は自分の人生をイエス・キリストに捧げました。ペテロが水から引き上げられたように、私が神に叫んだ瞬間、神は私に答えてくださいました。神は私を深い悲しみと落ち込みから引き上げてくださいました。孤独と痛みを追い出し、神の愛と喜びで私を満たしてくださいました。私がひとりぼっちで、自分の人生には何の価値もないと思っていたとき、神は手を差し伸べてくださり、私を惨めな状態から救い出してくださいました。古い自分はあの車の事故で死に、私の新しい人生は完全に神と神の御心のために生きることだと思いました。 交通事故の直後、自宅で療養していたとき、聖霊が私の中で働き、グーグルで日本について調べるよう示されていると感じました。以前から、私はアジアの文化が大好きでした。子供の頃、テキサスにある地元の食料品店で、アジア食品売り場に迷い込んだこともあります。アジアの衣装を着たかったし、テレビで見るアジアの番組も大好きしかし、アジアの国について具体的に調べたいと心の奥底で感じたのは、このときが初めてでした。ビデオを見たり、写真を見たり、記事を読んだりするうちに、私は日本が大好きになりました。それは、朝日や夕日に恋するのと同じくらい自然なことでした。それから、日本のキリスト教について調べました。日本人のわずか1%しか主を知らないことに気づき、私は涙しました。日本の95%はまだ福音を聞いていないと言われています。日本人はかつての私と同じなのだ。多くの人々が傷つき、孤独を感じ、泣き叫んでいる。私は胸が張り裂けそうになり、彼らとイエスを分かち合いたいと切望しました。彼らのそばに行って、悲しみに寄り添い、神の愛を分かち合いたいと思いました。私は主に、日本の人々に主の愛と真理を伝えることができるよう、私を日本に遣わしてくださるようお願いしました。 振り返ってみると、神が私を日本への愛へと結んでくださったことがわかります。この深い愛については、神以外に説明のしようがありません。母の胎内で私が形作られた時、神は日本で失われた人々への愛という太い糸を織り込まれたのです。その糸は力強く、紛れもなく、11歳の私に「主よ、私を遣わしてください」と言わせたのです。 追記:アマンダ宣教師は、来月、OFMの宣教師として、日本へ派遣されます。最初の1年は千葉県市川市で訓練をし、その後青森県で宣教活動をする予定です。アマンダ師のこれからの働きのため、お祈りとサポートをお願いいたします。でした。編集後記
神様が、処女マリアに子供を産むように、そしてその子は救い主となると示されたのも13歳頃だったと言われています。11歳のアマンダに、神様は宣教師になるよう志を与え、彼女は忠実にその道に向って一歩一歩前進してきました。そして今、まさに夢が現実のものとなります。主に従う事は、なんと素晴らしいことでしょう。目の前で神の業を見聞きできることに感謝します。【玉寄朋子】関連記事
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