
6月号 Vol.349【父の日】

Written by 藤浪義孝牧師
「私もこの人に共感できる」と感じる人がいるでしょう。両親の不仲、オーバーワーク、父親不在、家庭内暴力や過剰干渉、しつけの過酷、コミュニケーション不足など、父親に対するネガテブなイメージによって、父親との関係が悪化している人は少なくありません。店頭で売られている「DAD」とプリントアウトされているTシャツやカップを見て寂しさを感じる人もいるのです。
多くのキリスト教会では「父の日」の前後に行われている慣習があります。礼拝で父親たちが称賛されたり、父親のために特別な祈りが捧げられたり、父親への特別な記念品が贈呈されたり、教会によって敬意の表し方が違いますが、どれも父親への敬意と感謝を表すためのものです。しかしながら、父親を持たない人たちのことを決して忘れてはいけません。この配慮は、当たり前すぎるかもしれませんが、私たちの周りには、父親のいない人、父親を知らない人、養子縁組をした人、離婚した人、こどもの父親になれなかった人、こどもを産めない配偶者を持つ人がおられます。一般に広まっている家族重視の考え方は好ましく思えるものではないかもしれません。経済面でもすべてが揃っていて幸せそうな笑顔の人々が大半を占めているわけではありません。この社会の半分以上が離婚によって傷つき、家庭は、単身赴任で多くの困難や経済的な問題、父親不在、あるいは父親がいなかったり、父親が二人以上いたり、誰が家庭を治めているのかわからないといった状況に蝕まれているのです。このような家庭状況の中で、国民の主日「父の日」を迎えます。イエスキリストは、当時の社会で父親のいない人々に対する配慮を軽んじられませんでした。その言葉と態度は感受性と配慮に満ちたものでした。ある教会で「父の日」に宴会を開く習慣が始まりました。しかし、ある年から「父の日の夕食会」と呼ぶ代わりに、「すべての息子たちの夕食会」と呼び名を変えました。このタイトルの変更によって、「父の日」を祝う伝統的な方法から、自分が息子であることを祝う方法へと焦点が変わりました。つまり、すべての人が含まれたのです。すべての人は息子娘であり、すべての息子娘には父親がいます。
長い年月、私は自分の父親に対して怒りを抱いていました。子どもの頃、過失は絶対に許されず、厳しいしつけの繰り返しと暴言でよく落ち込みました。成人になってからクリスチャンになりましたが、心の中に上手にその感情を隠すことができただけでした。 あの状態が今日まで続いていたなら、どうなっていたかと思うと正直ゾッとします。 私の視点が変わり始めることになったのは、アメリカ滞在中の時です。それを助けてくれたのは、神を畏れ敬い、愛と恵みを軸にして聖書に生きているご年配のクリスチャン夫婦たちでした。この方々に愛され教えられ自分の息子のように扱ってくださった彼らとの関係の中で、私の心の中に隠していた問題点に立ち向かう必要があることに気づきました。また、聖書に登場する父親像がバラバラで、聖書の登場人物でさえ完璧な父親を見つけるのは難しいということも知りました。
聖書に登場する父親像がバラバラであるという現実は、先入観にとらわれた完璧な家族の形に無理やり当てはめることはできないということを気づかせてくれます。聖書に登場する人たちの生活は雑然としていました。私たちの人生も厄介です。しかし、信仰によって生きた過去の人たちが希望を持つことができたように、私たちも今日希望を抱くことができるのです。神は「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。」(詩篇68:5)これは、どんな人でも受け入れることができる真理であり、私たちにとって深い意味を持っています。たとえ地上の父親が不完全でも、天の父が、私たちの必要とするすべてを持っていることを知ることは、大きな力です。
「父の日」は、父なる神のことば(聖書)によって心の鏡を見つめる素晴らしい機会です。その祝日は、私たちがもっと愛情にあふれ、深い同情心を持って互いに思いやり、持ちつ持たれつ関係を育むために、私たちの焦点を変える機会となるでしょう。
今月の証
「主の臨在ここにあり」


その後日本での宣教を終えて帰る頃には、カネオヘに住む娘夫婦が、一階建ての家を改築してくれて、二階を建て、私たち夫婦との二世帯住宅となって、3名の下に住む孫娘たちが時々二階に上がってきては、食事をしたり、彼女たちの学校やスポーツの送り迎えをする平和な、自然に囲まれた生活を楽しんでおります。
しかし、この長女は、私たちが最初の岩手への短期宣教にいます時に双子を妊娠しました、内臓が持ち上げられたのか、色々な身体の障害が出ました。後で彼女に聞くと、自分ももしかしたら死ぬかもしれないと思ったそうです。大変な妊娠だったのです。ちょうど彼女の出産に間に合うように、私たちも戻って来ることができましたが、太平洋を挟んだ、日本の岩手県山田町で毎朝の散歩の時に、二人で彼女が無事であるように必死で祈ったことを思い起こします。 主の恵みで、この双子ちゃんたちも10歳を迎えて、元気に育っています。
すべてが万事良かったわけではありません。ちょうど10年前に短期宣教を決める前には、患難の中を通されました。自分が62歳の時に勤めていた会社の肩たたきが始まって、自分もその対象になってしまいます。シアトルからサンフランシスコ支店に移動を命じられ4年ほどたった頃でした、所属は営業部だったので、営業成績を理由にすれば、即日解雇という場面です。次女の結婚式も迫っています、シアトルの自宅は貸してしまっています。自分達ではどうすることもできない不安の中で、妻は突然倒れて、緊急病院に連れて行くと、ハートアタックではなく、心労とのこと、借りていたコンドに戻って二人で心を合わせて祈りました。私たちはどうしたらよいのか分かりません、主よ、助けて下さいと祈って疲れ切って寝てしまいました。翌朝、驚くことに、今まで三つほどの宣教団体に申し込んでいたものの、全く音沙汰のなかったので諦めていた中の一つからEmailがきて、あなた方は宣教師として選ばれましたとの連絡でした。喜びの朝を迎えられたのです。その後 勤めていた会社は、人事部から最高の引退パッケージをもらい、しかも次女のサンフランシスコでの結婚式、8月31日が会社の引退日として連絡が来たのです。「神のなさることはすべて時にかなって美しい」伝道者の書3章11節。主の臨在ここにあり。
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