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9月 12, 2025 | 天主閣便り

9月号 Vol.352【悲しんではならない。主を喜ぶことこそ、あなたがたの力である】

Written by 藤浪義孝牧師

9月はしばしば「秋の季節」と呼ばれます。ここハワイに住む私たちは、日本やアメリカ本土のような鮮やかな紅葉や冷涼な風を実際に体感することはありません。しかし、それでもこの時期は、心を静め、これまでの歩みを振り返り、新しい段階への移行を思い起こさせてくれる大切な季節です。私にとっても、この時期はとりわけ「感謝の心」を新たにし、信仰の姿勢を整える機会となっています。 この度の学び休暇の間、奉仕を支えてくださった日本語ミニストリーの皆さまに、心より深く感謝申し上げます。皆さまの献身と愛、そして静かな犠牲によって、日本語部の働きは途絶えることなく守られ、教会は多くの祝福をいただきました。そのおかげで、私は心身を休め、八十九歳になる母と家族に仕えるとともに、新しい力を得て奉仕に戻ることができました。また、この機会に、マキキ教会の開拓者である奥村多喜衛牧師の故郷・土佐を訪れる恵みも与えられました。信仰の先達が残した足跡に触れることができたのは、大きな励ましでした。

皆さまお一人おひとりのご奉仕は、まさにパウロが語った「主にあっての労苦は決してむだではない」(コリント第一15:58)の生き証しです。どうか主が皆さまを豊かに祝福してくださいますように、心からお祈り申し上げます。

先月は、マキキ教会の派遣音楽宣教師である高瀬真理・瑞恵ご夫妻をお迎えし、その尊いご奉仕を通して大きな恵みをいただきました。ご夫妻は日曜礼拝、幼稚園礼拝、ホープ・フェローシップ、そして日本語部主催の夏のコンサートにおいて、音楽の賜物を惜しみなく分かち合ってくださいました。真理師が奏でられた十八世紀半ば製作の歴史あるバイオリンは、同師の父から託された大切な楽器であり、その豊かな音色は瑞恵夫人のピアノ伴奏と相まって、私たちの心を高く引き上げてくれました。音楽を通して「神の賜物が世代を越えて受け継がれていく力」を覚えるひとときとなりました。 しかし、会衆を賛美へと導いてくださるのは宣教師ご夫妻だけではありません。私たちの賛美チーム、聖歌隊、奏楽者たちが声と音を合わせるたびに、私は教会の存在目的を新たに思い出します。それは、天地万物の創造主であり、唯一の真の神を喜び、賛美と栄光をささげることにほかなりません。毎週の礼拝に集うことができない方々も少なくありませんが、そのような方々の変わらぬ信仰の歩みの中にこそ、主の恵みの確かな証しが表されているのです。

聖書は、「主を喜ぶことこそ、私たちの力である」と語っています(ネヘミヤ記8:10)。このみことばは、エルサレムの民が律法を聞き、その厳しさに心打たれて涙を流したときに、神の人々が民を励ますために告げられた言葉です。悲しみや重荷の中にあっても、「主を喜ぶ」ことによって人は新しい力をいただける――これがこの言葉の真理です。

「主を喜ぶ」とは、ただ感情的に明るくなることではありません。それは、神がどのようなお方であるかを思い起こし、すでに与えられている救いと日々の恵みに心を留めることです。困難のただ中にあっても、神の変わらない愛と約束を仰ぐとき、視点が変えられ、弱さの中に力が与えられるのです。否定的な思いにとらわれやすい私たちですが、みことばに心を目覚めさせるとき、そこに「慰め」と「確信」が与えられます。神の真理は私たちを解放し、信仰の視点を回復させてくださるのです。

この喜びは、移り変わりやすい一時的な感情とは異なり、神との生きた関係にしっかりと根ざしています。人間的な楽しさや幸せは、状況に左右されやすく、時にはすぐに消えてしまうものです。しかし「主を喜ぶ」ことは、外的な環境やその日の気分に依存しません。なぜなら、それは永遠に変わらない神ご自身に基づいているからです。

たとえ生活の状況が大きく変わり、先の見えない不安や困難に直面したとしても、神の御手が常に共にあり、私たちを導いておられることを知るとき、心には平安と力が与えられます。聖書のことばは、人生の荒波の中にあっても揺るがない土台となり、信仰の歩みを支える確かな柱となります。そして聖霊は、弱さの中にある私たちを絶えず慰め、励まし、神の愛の現実を日ごとに思い起こさせてくださいます。

このようにして「主を喜ぶ」ことは、試練の中にあっても希望を見失わず、信仰を持って前進する力を与えてくれます。それは単なる心理的な励ましではなく、神ご自身との深い交わりに根ざす霊的な力です。ゆえに、私たちは人生のどのような段階にあっても、変わらぬ神の御手に支えられ、喜びをもって力強く歩み続けることができるのです。

この9月という移行の季節にあって、私たちの心を新たに整え直しましょう。神からの良きもので心を満たし、神との関係をいっそう深める時です。みことばに心を留め、主イエスに目を注ぎ、主の導きを求め、恵みを思い起こし、あわれみを体験しましょう。そのとき、私たちの歩みは確かに力づけられ、心は主を喜ぶ喜びにあふれるのです。

「今月の言葉」

悲しんではならない。主を喜ぶことこそ、あなたがたの力である。

ネヘミヤ記 8:10

今月の証 「そんなあなたのために私は十字架についたよ」
Written by 【音楽宣教師】高瀬真理
ハレルヤ! 主の御名を賛美します。 2025年のDUOTAKASE米国宣教旅行を主が守り導かれ、皆さんと共に主の御名を賛美できる喜びを感謝いたします。今年は6月23日にミズリー州セントルイスからスタートし、ケンタッキー州ルイビル・コロラド州デンバー、ジョージア州アトランタ、 テキサス州ダラス、ワシントン州シアトル、カリフォルニア州ロサンジェルスとサンディエゴ、ハワイ州マウイ島とオアフ島、そして無事帰国し、全行程を主が守り導き現在に至るのです。 毎日心注いでお祈りをありがとうございました。心より感謝します。宣教旅行でのサンディエゴでの祝福の証をさせていただきます。今回は日程の都合上、カリフォルニアには一週間しか滞在できず、詰め詰めのスケジュールの中での、4回のコンサート。サンディエゴの教会まで行く予定はありませんでした。
「愛し合い・祈ること」

しかし、サンディエゴで教会を開拓しておられる牧師ご夫婦はあきらめません。なんでサンディエゴ希望教会をスルーするの?ありえなーい。そういわれて、NOと言えない高瀬夫婦が、LAで滞在中の牧師に無理を提案しました。先生?車貸してくれない?そうすると二つ返事でトラックを貸してくださいました。結果は・・もちろん行かせてくださったのは神様ですが。。。しかし、行ってよかった。

私は、調子のよいことに、昨年のサンディエゴでのコンサート終了後に、ある年配の夫人に約束していたのです。「来年もまた来ます!そしてリクエスト通り日本の曲も弾きます。」なんてね。 私は、すっかり忘れていましたが、その年配の女性の、「本当に来てくださり、私のリクエストにも答えてくださったのね」とすごく喜んでくださる姿をみて・・私の「あほ」を神様よーくご存じで、選曲にまで行き届いた配慮まで整えてくださり・・このお調子者を祝福してくださった主に心よりの賛美と感謝を捧げました。今回は家内を見習い、「主がお導きになられたら来年もお目にかかります」と言いサンディエゴをあとにしました。 サンディエゴ希望教会は、今年で二年目。祝福ももちろんたくさんあります。しかし、それ以上に多くの目に見える闘い、見えない闘いがあります。今回の宣教旅行でそれぞれの場所に置かれた開拓教会・日語部ミニストリーの現実の必要を、その場所にある教会だけでなく、キリスト者がその福音宣教の祝福を覚え、祈ることの大切さを感じました。もし、教会指導者が思い描く理想が、教会員の人数の増加、教会堂の建設、献金の増加、名声などであれば、どうなるでしょうか。そういう牧師は、信徒たちに親切にしたりしますが、それはあくまでも、自分が思い描いている肉のイメージの中で愛しているに過ぎません。悪い言い方をすれば、使い物にならなければ捨て去っても良い、という考えです。 しかし、それは、本来あるべき姿ではありません。人数が少なくてもかまわない。付き合っても得するわけでも無いけれど構わない。あなたがいてくれることが私にとって大切なのだ、という姿勢が本来あるべき姿です。今回二か月の間、二日に一度のペースで「命」を賛美してきました。不思議と、楽器も守られ、家内の体調もすべて守られ、主の御名を賛美します。その力の源は日々主にあって闘っておられる、それぞれ訪れた教会の牧師ご夫妻の姿でした。 「悲しみがあり、喜びがあり、主の慰め」を見て、私たちは本当に心動かされました。「そんなあなたのために私は十字架についたよ」救われた!思い煩いから解放された! 主の十字架が私の喜び、誇りである、・・もっと叫び続けたい。そして主にあるキリスト者がさらに「愛し合い・祈ること」が、クリスチャン・ファミリー全員が元気になり益々多くの家族を創っていく「愛」へと広がっていくと信じます。 私が求めているのは、あなたがたが持っている物ではなく、あなたがた自身なのです。(第2コリントの手紙12章14節)
編集後記
以前はマキキの夏の風物詩でしたが、今はすっかりハワイの風物詩となっているDUO高瀬のサマー・コンサート。今年もバージョンアップした(プロに向かって失礼ですが)お二人の演奏を聴きながら、涙が止まりませんでした。お二人が通った道は決して穏やかではありませんでした。しかし、そこを一つずつ、一歩ずつ、ご夫妻で乗り越えられてきた道のりは、主にあって、すべてが益となり、美しい道に変えられ、それが音楽に現れていると感じました。来年がまた楽しみです。【玉寄朋子】

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