3月 20, 2023 | 天主閣便り

03月号 Vol.325【友情】

Written by 藤浪義孝牧師

今年1月イタリヤで開かれたワールドカップで史上最多の83勝目を挙げたアルベンスキー選手ミカエラ・シフリンさんにインタビュアーが尋ねました。「スキー競技で、一番何が求められるのでしょうか。やはり体力でしょうか。」「確かに体力は必要ですが、それよりももっと必要なのは精神的スタミナです。私たち選手は、競技場にほぼ十二時間います。その長時間の中で競技時間は、たった2分です。その2分に全力を尽くすためには、精神的な強さがなければなりません。」とミカエラさんは答えました。

ミカエラさんは、インタビューの中で、自分にとって家族や友人たちがどれほど大きな支えになっているかを伝えました。1日のうちで、2分の勝負というような状況にある人は少ないと思いますが、誰にでも「ここぞ」という時があります。そんな時、サポートしてくれる家族や友人の存在は、精神的な面で大きな力になるものです。

「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが、ひとりでどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」(伝道の書4章10-12節)

旧約聖書の第一サムエル記に美しく描かれているダビデとヨナタンの友情はそのことを明らかにしています。

ヨナタンは、自分の父親サウロ王が、友人ダビデを妬み、ついには殺害しようと企んでいることに気づいた時、サウロ王のダビデに対する思いが真実であるかどうか確かめられるまで「逃げて身を隠していなさい。」とダビデに忠告しました。しかし、父サウロ王のダビデに対する憎悪と殺意は変わらないことを確かめたヨナタンは、前から決めていた通りに、弓矢の合図で、そのことをダビデに伝えました。サウロ王は、息子ヨナタンがダビデと親友であり、ダビデの肩を持っていることに激しい怒りを抱きました。ヨナタンは非常に厳しい立場に追い込まれました。しかし、自分が犠牲になっても、友達を守ることを選んだのです。ヨナタンは、父親とダビデの関係を修復しようと試みました。ところが、もうその可能性が閉ざされてしまい、ヨナタン自身も深く傷つきました。仲違いしている関係を修復しようと務める人はなんと立派な人でしょう。

関係の和解が実現すればそれは素晴らしいことですが、壊れた関係を修復できない場合が往々にしてあります。ヨナタンのように、関係を修復しようと努める仲介者自身も傷つき、失望してしまうことも少なくありません。

ヨナタンは王子でした。ですから、父親であるサウロ王の間違いがどんなに明らかであっても、王のもとを離れるわけにはいきませんでした。ダビデは、やがて、サウロ王の家族の敵になってしまいます。そんなことになっても、ヨナタンのダビデに対する友情は変わりませんでした。ダビデも、ヨナタンとの友情を守りました。なんという忠誠でしょうか。このような友情を大切にする人が増えれば、家庭も社会も変わっていくでしょう。

あの出来事から幾年も経ち、ダビデがイスラエルの王に選ばれました。ヨナタンにはメフィボシャテという名の息子がいました。王位についたダビデはメフィボシャテを呼び出し、丁重に優遇したことが第二サムエル記に記録されています。

相手のことを考え、友人に仕える人、友達に忠誠を尽くす人は、神に祝福されます。聖書には、神がダビデを祝福し、全ての敵を沈めて、社会に秩序を取り戻すように導かれたと書かれています。ダビデは、王として、何かの機会で、謀反を起こすかもしれない可能性があったのにもかかわらず、前の王の子孫を守ったのです。古代社会では考えられないことだったのです。

心打たれることは、ダビデもヨナタンのように友人に忠実であったことです。その忠実さが、当時のイスラエルの民の心に感銘を与え、民を引きつけた力だったからです。ヨナタンは、友達を大事にする人でした。父親のダビデに対するくわだてを知ったヨナタンは、父親であれども、友達を守るために、父親にこう言ったのです。「王様、どうかあなたのしもべ、ダビデについて罪を犯さないでください。」と申し出たのです。その息子の願いに、「あれは殺されることはない」という答えたサウロ王と、ダビデの態度は、まったく違います。なぜ人々がダビデを愛したのか。なぜダビデは神に愛されたのか、なぜ3千年経った今も、ダビデのことが話題になるのか、よく理解できると思います。忠実な友達を持つことは、本当に何にも代えがたいものです。どんなに貧しくても、人から愛され、信頼されている人は、本当に幸せな人です。そのような人は、神から恵みを受けるでしょう。

 

「今月のみ言葉」

「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが、ひとりでどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」
(伝道の書4章10-12節)

「高知からアロハ!」
Written by 藤澤佑介
マキキ教会のみなさま、アローハ。私は2003年8月から2006年1月まで、ハワイ大学の大学院生としてハワイに滞在し、マキキ教会で妻のみさとと一緒に礼拝をまもらせていただいておりました。マキキでは、通訳や、聖歌隊(ちょっとだけ指揮も)、ユースバンド、男性フラ、そしてソフトボールとハワイでの思い出は、ほぼマキキ教会のみなさまとの思い出です。

その中でも、私にとってその後の人生を決めることとなったのがレインボーコネクションです。2004年の100周年記念事業として、高知からたくさんの人がハワイを訪れてくれた、というのを当時そこまでこの事業に深く関わっていなかった私は、「へーそうなんだー」ぐらいの思いで見ていました。高知から来られた奥村多喜衛牧師研究者の中川ふさ女史ともこの頃出会っているのですが、元気なおばちゃんだなーぐらいの印象で、まさかその後の人生を委ねることになろうとは夢にも思っていないのでした。

あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。
(エステル記4章14節)

それでも、高知の土佐塾中学校の島内先生が高知の奥村展のポスターを届けにきたことがきっかけとなって、松鷹姿帆ちゃん、松鶴沙紀ちゃん、黒田由祈ちゃんを高知に送ることになった辺りから、これは主の御業であるとの思いが湧いてきました。2005年に初めてマキキで土佐塾の一行を迎え入れた時、生徒や先生たちが大きく変わっていく姿を見て、ますますここに主が働いておられるということを思うようになりました。

当時私は、大学院での学びを終えた後の進路として、日本のミッションスクールで英語教員となるという道を思い描いていました。それが私にとって主に仕える道であると思っていました。実際、ちょうど卒業のタイミングで願っていたようなポストの募集があり、これは主の導きであると出願書類を整えていました。ところが、時を同じくして土佐塾で働かないかという誘いを受けるのです。これは正直全く想定外でした。ミッションスクールでもなく、高知という自分とは全く縁のない土地の学校。

ただ、土佐塾に行ってレインボーコネクションのパイプ役になるというのは、主の呼びかけへの応答であると思いました。奥村牧師が100年前に主の呼びかけに応えて見知らぬハワイへの船を進めたように、100年の時を超えて、ハワイで実った信仰の実を持ち帰るために、私が見知らぬ高知へ行く。私はこの時、自分が留学を決める時に、たくさん出願した中でなぜかハワイに導かれたことと重ね合わせて、「わたしが、ハワイに来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」と思うに至り、土佐塾への就職を決めました。
それ以来、気が付けば17年。マキキとの交流を陰日向で支えてきたという自負はあるものの、まだまだ働きは道半ば。主のために種をまき続ける日々です。

編集後記

私は色々な事を企画するのが好きです。特に旅行などは飛行機の手配から、日程までワクワクしながら計画をするので、旅がはじまったとたん、帰国後の生活を考えて悲しくなってしまいます。そして帰国をして思い出すのは、何を食べたかではなく、誰と食べたか、どんな話をしたかを思いだし、楽しみ、次回への旅の夢を見始めます。高知から来られる子供たちがどんな体験をして何を感じてくれるのか。。今から楽しみでしかありません。

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