6月 14, 2023 | 天主閣便り

06月号 Vol.328【動じない歩み2】

Written by 藤浪義孝牧師

「気落ちすることばかりなのに、どうして祈りが必要なのですか。神さまが壊れた自動販売機のようにしか感じられない。」ひとりの高校生が自分の思っていることを正直に話してくれました。これは的外れの質問なのでしょうか。 ある時、イエスは弟子たちのためにたとえを話されました。(ルカの福音書18章2節―3節)このたとえに一人の未亡人と非道な裁判官が登場します。弟子たちの頭では、女性が出廷することはないとわかっていました。当時の社会では、未亡人は無力で抑圧されていた人でした。あらゆる面で不利な状況に置かれていた未亡人が、裁判官に助けを求めに来たのでした。よりによって、その裁判官は情の無い人でした。ところが、その未亡人が口うるさくせがみ続けました。それでついに裁判官は「このやもめは、うるさくてしかがたない。このやもめのことを考えると本当に頭痛の種だ。このままでは、悩まされる。裁判をしてやることにしよう。」と言ったのです。

イエスは、弟子たちにこの話から何を教えようとしたのでしょうか。

自分の欲しいものを手に入れるために天の父にうるさくせがむように教えたのでしょうか。多くの人はそう思います。「何度も繰り返し神さまにお願いすれば、必ず願い事をかなえてくれるはずだ。」と受け止めるのです。たとえ話に登場するこの未亡人の一貫性、勇気と粘り強さは確かに賞賛に値しますが、無力の未亡人と非道な裁判官のたとえ話は、私たちの霊的な現実と対比させ、私たちに必要なことを示すためでした。 もしあらゆる困難にぶつかっていた未亡人が、情の無い裁判官から正当な扱いを受けたのだとしたら、ましてや神に受け入れられているあなたがたの願いは、どれほど聞き入れられ、応えられることかを教えています。私たちの目に見えるこの世界では、この話に登場する未亡人のように、弱い立場に追いやられ、不正と抑圧に苦しめられている人がいることは事実です。しかし、霊的な領域において、私たちは決して無力な者でも将来に希望がない者でもなく、この世界に変革をもたらす霊的な力が与えられていることをイエスは教えられたのです。
ですから、たとえ、苦悩や痛みを引き起こす出来事が繰り返し起き、途方に暮れている時でも、イエスに信頼するあなたが思っていることは何でも正直に、正当に扱ってくださる天の父に伝えることができるのです。あまりの苦しみに、祈っても無駄だと思い込んでしまうことがあります。このたとえ話を直接イエスから聞いた弟子たちは、この後、考えも及ばなかった恩師の受難と十字架の死に、「神は壊れた自動販売機のようにしか感じられない」と言ったあの青年と同じような心境になりました。しかし、彼らはイエスが話された未亡人と非道な裁判官のたとえ話を思い出し、どのような時にも祈りと願いをもって、天の父に大胆に近づくことができることに互いに喜び合い、心に安らぎを持ったのです。イエスが死から復活して確かに生きておられることを知った弟子たちは、「あなたがたの悲しみは喜びに変わります」と言われたイエスのことばを思い出しました。この世では外的な要因によって嘆き悲しみます。取り乱したり、動転してしまうことがありますが、公正に取り扱ってくださる天の父が、どのような状況の中でも祈りを聞いてくださり、応じてくださることを知っていたので、弟子たちは冷静な気持ちを保ち、危険や困難を恐れず勇敢に立ち向かいました。

神への信仰を持ち続けるということが、困難であったり、重すぎると感じたりするときがあるでしょう。しかし、そんな時、イエスキリストへの信仰は、孤立して、自分の力で持つものではなく、同じ信仰を持つ人たちの共同体(教会)とともに分かち合うものであることを心に留めておいてください。動じない歩みをするために、イエスに従う者として、私たちが祈り続けることができますように。私たちが祈る相手は、思いやりがあり公正な天の父です。あの未亡人のように、どんなことでも、心の中の想いを呟くことができますように。私たちは仕事場でも、家族や友人と話すときでも、祈りに満ちた生活を送りましょう。イエスが苦悩の中で、「父は深く気にかけておられる」という揺るぎない真理に深く安住したように。嵐が来ても、失望感に浸っても、喪失感が襲ってきても、私たちは見捨てられないと心を安定させることができるのです。私たちが教会家族として祈り続けることができますように。励ましを必要としている人を見て、天の父の配慮を私たちが反映させることができますように。

 

「今月の言葉」

ひとつひとつの悲しみには意味がある。 時には、思いもよらない意味がある。 どんな悲しみであろうと、それは、このうえなく大切なもの。 太陽がいつも朝を連れてくるように、それは確かなことなのですよ。

(エラ・ウィーラー・ウィルコックス – 米国の女性作家、詩人 / 1850~1919)

今月の証
「松本牧師からのメッセージ」

Written by 松本章宏牧師
昨年の8月、ラウリマミーティングでメッセージを取り次いでくださった、リユニオン・ミニストリーズの松本章宏牧師からの御報告です。現在とてもつらいリハビリをされています。是非ハワイからも祈りのサポートをしていただき、いつかハワイにもお招きできますよう期待しましょう。 いつもお祈りに覚えてくださりありがとうございます。昨年4月にシンガポールから北海道へ帰国し、リユニオン・ミニストリーズを立ち上げ、今年の1月から巡回伝道にでかけていきました。釧路を出発し、札幌でいくつかの教会でメッセージをした後、沖縄に飛びました。大変祝福されたあと、名古屋に行きました。それから愛知県の数か所、また岐阜県を回り、メッセージをしました。その後、大阪の岸和田に行き、また数か所回った後札幌に戻りました。2月18日土曜日、札幌の大通りで対面授業を予定していました。「いのちのパンを分かち合う」というテーマでナイトdeライトの平野翔一さんの素晴らしい賛美のあと講談に立つと、次々と語るべき言葉が浮かび今日も滑らかに話せると思いました。ところが言葉は浮かんできますが、話そうと思うとしどろもどろになるのです。呂律がまわらない。突然長男の務が立ち上がり「お父さんやめよう」と私を押さえました。

主よ、もう十分です。私のいのちをとってください。私は父祖たちにまさっていませんから
第一列王記19章4節

メッセージを制止されたことに怒りを覚えながらも、「誰か救急車を呼んで」の声に抵抗もできなくなっていました。

まさにボクサーがファイテングポーズをとっているのに、セコンドが白いタオルを投げ込んだような感じでした。気がついたら夜の病院のベッドです。医療機器の音が響く中状況がよくわからないまま、今生きている事、これからどうなるのだろうという思いが浮かびました。ふと「ラーゲリより愛を込めて」という映画のワンシーンがよぎりました。太平洋戦争の最後に満州を襲ってきたソ連軍に捕まって、シベリアに抑留された日本人の男たちの物語です。山本旗男という希望を伝えてきた人物ですが、彼は奥さんと「生きて会う」約束をしていましが、その約束を果たせるか不安と悲しみの中にいる映像です。私も妻の正子に会いたい、家族に会いたい。自分も抑留されたような気になりました。

それから入院生活がはじまりました。最初に浮かんだみ言葉は、第一列王記19章の預言者エリアの箇所でした。彼はイザベルから逃げた時に19章4節でこう言います。「・・彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。『主よ、もう十分です。私のいのちをとってください。私は父祖たちにまさっていませんから』第一列王記19章4節」私も同じ気持ちでした。「神様もう十分です。どうか私の命を取って下さい。」と。「どうして私は生きているのでしょうか?」「今頃イエス様の所に行って、パラダイスに行っていたららな」と思いました。しかし妻は「生きていてくれてありがとう」と言ってくれました。私が生きていることを喜んでくれる人がいる。生かされているということは、使命があるのだと思いました。これからは自分のためでなくその人のために生きられたらいいなと思いました。「神様、喜んでその使命を全うしますので、全うできるだけの力を与えてください」と願いました。しかしその直後、左腕が全然動かないことに気がつきました。そして腕がとても重い事、右手が左手を持ち上げて動かすことの大変なことを知りました。この時に教会について考えました。“キリストの体”です。頭なるキリストに繋がっていないと、支えるのも重いのだという風に思いました。それ以外にも多くの痛みが与えられました。今まで自分がメッセージを語っていたことに「お前はそれを本当に信じているのか?」と主に問われているような気もします。しかしみなさんのお祈りを通して今日まで生きてくることができました。「人は使命があるうちは死なない」。今はリハビリに励んでいます。主が憐れみ「あしあと」の詩のように、イエス様が私を背負い、運び、歩んで下さることに期待します。

引き続きお祈りに加えてくださいましたら感謝です。

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