11月 18, 2023 | 天主閣便り

11月号 Vol.332【健全な価値観】

Written by 藤浪義孝牧師

人間の価値観の軸となる世界観が三つあります。それは「無神論」、「汎(はん)神論」、「有神論」です。「無神論」は文字通り、神の存在、超自然的な概念などの存在を否定する考え方です。「汎神論」は、すべては神であり、神はすべてであり、神は無限であり且つ非人格であり、すべてのものは、すべてを包含するという考え方です。「有神論」は、無から有を創造し、天地を創造された神は無限であり、人格をもった神が存在するという考え方です。あなたの世界観はどれに当てはまりますか。ここで「無神論」を1、「汎神論」を2、「有神論」を3として「命」について夫々の世界観の考え方に触れます。

①. 「なぜ無ではなく有が存在するのですか。」1「常に何かが存在していた。 宇宙は時間と空間と偶然の産物である。」2「存在するもの全てが神であり、神は宇宙に特定されている」3「人格的な神は、存在する全てを無から創造された。神は被造物から分離している。」

②. 「なぜ人間は存在するのですか。」1「人間は限られた宇宙における偶然の産物に過ぎない。」

2「すべての存在がそうであるように、人間は神の現れである。」3「人は神によって創造され、人以外の被造物とは異なる。」

③. 「人間の尊厳の根拠は何ですか。」1「存在的には何もない。相対的に、人間は進化の最高峰である。」2「別に何もない。」3「神の似姿に創造された人間は、創造主と個人的関係のために存在する。」

④. 「人間が考え、意志を持ち、感情を持つという人格の基礎は何ですか。」1「存在論的には、何もない。相対的に遺伝子形成と条件付け。」2「人間は幻想である。人間は神の統一に入るために人格を捨てなければならない」3「創造主は理性、思考、意思、感情を持つ。人間は神の似姿である。」

⑤. 「理性と合理性(道理にかなった性質)が存在する理由は何ですか。」1「本質的には何もない。相対的に言語・遺伝子形成・実用主義」2「理性は幻想にすぎない。神の最終的な実在は、体験と非理性的なものである。」3「神の理性は人間の理性を超えているが、理性は神の本質に基づく。」

⑥. 「道徳的意識(良心)が存在する理由は何ですか。」1「社会的条件づけ」2「最終的な意味で、道徳意識は幻想である。」3「人間は堕落し、条件づけられてはいるが、道徳意識は神の似姿を反映している。」

⑦. 「倫理、道徳、価値観の基礎は何ですか。」1「相対主義」2「存在論的には何もない・相対的にはカルマ(因果の法則)。」3「神の道徳的性格、律法、聖書、コーランに啓示されている。」

⑧. 「なぜ宇宙に悪が存在するのですか。」1「物理的な悪は普通である(災い)道徳的な悪は、個人や社会の認識によって決まる。」2「神はすべてであるため、悪は存在しない。カルマの法則:恣意的(しいてき)(自分の思いや思いつきにまかせる)」3「道徳的悪は、有限な人格者(ルシファー「堕落天使」・アダム「人間」)の自由意志に由来する。物理的悪は道徳的悪の結果である。」

⑨. 「幸福、喜び、美的感覚の基礎は何ですか。」1「遺伝子形成・社会的条件づけ」2「人間の喜びは神から切り離されている。真の幸福は神との一体化(涅槃[ねはん]―輪廻等)によってのみ得られる。」3「神の似姿である人間には美的感覚が備わっており、神と被造物を楽しむために創造された。」

⑩. 「宇宙における一個人の位置付けに関する問い:一致と多様性の問題に何と答えますか。」1「すべてはひとつ。人間には自由がない。決定論(運命は完全に決まっている)。すべては多様性と混沌。人間は不条理な宇宙に浮かんでいる。」2「最終的になるはひとつ。すべての個性は幻想である。」3イスラム教「決定論」、キリスト教「三位一体としての神は、ご自身に一致と多様性が完全に備わっている。ひとつも多も意義がある。」

今月号は、「命の基本的な問い」に対する主要な世界観の回答に触れました。世界観は私たちの生き方に影響します。紛争と暴力で国家間並びに国内集団間が揺らぐ中で、私たちが抱いている世界観を考え直し、揺らぐことのない健全な価値観に腰を据えているかどうか、今一度吟味することが求められているのではないでしょうか。

今月の証
マキキ教会の皆様、
どうぞよろしく
お願いいたします。

Written by 白戸レコ
私は2021年8月に2度目のグリーンカード挑戦で、主の恵みと憐れみの内に、この地を踏むことが出来ました。私の人生に、また思いがけない事が起こっています。私は東北の青森市に三女の長女として生れ、暗黙の跡取りという呪縛から逃れたくて、学生として関東に出ました。そして、神奈川県で3人の子供が与えられる中、育児に悩み、生協の家庭班でクリスチャンの友に、平塚福音キリスト教会に導かれました。 家庭集会での交わり、子供集会出席から少しずつ、キリスト教への理解を深めました。キリストの存在が歴史的事実である事、どの宗教も山の頂上へは登れるが、その上の天には、罪のあがない主、キリスト、その十字架のはしごがない限り登れない事、主の蘇り後の弟子たちの変貌の事、色々と教わっても、中々飛び込みない自分がいました。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主のしてくださった事を何一つ忘れるな」

ある日の祈祷会で喜んでいる先輩の方の証しで心揺さぶられて、泣きながら、岩井清牧師のもとに、罪の告白と主の受け入れをしました。私には出来ない事でしたが、何かに背中をおされた感じでした。1982年のクリスマスから4年後の事でした。そのあとが大変でした。何かを待っていたように、母親、65歳でがん宣告です。2度の手術後、担当医より、取ったものからも、ガンがみつからないと勇気ある言葉を頂き、皆さんの祈りによって、主が働かれたと思いました。ステージ4の卵巣ガンからの復帰でした。その後の母親は、腸閉塞、腸捻転、大腸ガンと75歳まで戦って90歳で召されました。主の母親への介入を信じる信仰が私の支えです。

主は本当に弱い我が家に共にいてくださいます。長女の交通事故死の時、次女、長男の先の見えない海外生活にも。また私の母親介護で、主人と15年間、神奈川と青森との離れた生活の時も。また今、私は、次女の子Renzaの世話でホノルルにいます。主人は退職して、私の残して来た畑仕事に追われ、青森とホノルルが毎日のラインコールでつながっています。

すべて、主の支えなしには成り立たない生活です。主に感謝します。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主のしてくださった事を何一つ忘れるな」 詩篇103篇2節

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