woman with american themed scarf wrapped around her neck

11月 27, 2024 | 天主閣便り | コメント0件

11月号 Vol.343【平穏な日々を送るために】

Written by 藤浪義孝牧師

過ぎ去った一年を振り返り感謝を数える良い機会を訪れました。しかし、多くの国民は、大統領選挙後のアメリカ社会の行方と財政・金融市場への影響、社会不安を懸念し、和平の希望を投げかけてくれるものを求めています。緊迫深まる中東情勢、ウクライナへのロシアの侵略戦争と北朝鮮兵の移動、中国の台湾包囲軍事演習、急速に高まる核戦争の危機、地球環境問題による災害の激甚化や悪質犯罪など、かつてないほど将来への不確実を痛感しています。感謝祭を迎えるにあたり、とても解を求めることが難しい戦争の倫理について歴史を振り返り聖書から考えます。

人間社会における平和と調和についての神の理想は、人が地上に増え、神に代わって世界を治めることでした(創世記1:28; 9:1, 7)。殺人は、神の理想に反し、自由に選択する能力を持ち、神と親しく交われることができるように造られた人間への攻撃です。ですから殺人は固く禁じられています(創世記9:5-6)。聖書の終末論は、かつては激しく戦っていた国々の間に平和がもたらされることで特徴づけられます(イザヤ書2:2-4、19:23-25、ミカ書4:1-4、ゼパニヤ書3:9)。また、神がソロモンをエルサレム神殿建設の責任者に選んだことにも、神の理想が反映されています。主はダビデに仰せられました。「あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり・・・彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。」(歴代誌第一 22:8-9)

しかしながら、人間は、神の理想にかなう生き方をすることができません。傲慢と貪欲に特徴づけられる世界では、人が人と争い、国が国と戦います。神の観点では、この殺戮と流血によって「地はその住民によって汚された。」(イザヤ書24:5)それ故に、この世に裁きを下すよう促されます(イザヤ書24:5-6、26:21)。人類の帝国主義的な戦争による残虐行為は、神の契約上の基準を侵害し、神の裁きを受けるに値すると教えられています(アモス書1:3-2:3)。

歴史を振り返ると、神は人間の戦争を非難されながら、ご自身はしばしば戦争に介入されました。このような行動はどのように正当化できるのか、納得いかず行き詰まる人もいるでしょう。神は現実主義者であり、地球が罪によって汚染され、罪深く頑固な人間は、武力と暴力によってのみ権力から取り除くことができることを知っておられます。また、古代イスラエルを通して神政を試みても、敵対する国々によって挑戦されることになり、その土地を望む者たちから神の民を守るためには戦争が必要であることも理解しておられました。神の戦争は、罪人や神政の敵に対するものであり、神の正義のご性質と決定を明らかにします。それは、神の自己顕示の機会となり、神の王権を地上に確立する手段となったことが聖書で示されています。罪人と反逆者を地上から一掃することで、神の戦争は、皮肉にも神の平和の理想を実現する手段となったのです。

旧約聖書では、いくつかの戦争は神の許可を得たものと見なされています。イスラエルの征服戦争と防衛戦争の場合、 カナン征服は、それ自体が帝国主義的な戦争であると見なすべきではありません。イスラエルは、その罪が神にとって耐え難いものとなったカナン人に対する裁きの手段でした(創世記15:16、レビ記18:28、ヨシュア記11:20、士師記1:7、列王記第一21:26、列王記第二16:3)。さもなければ、彼らはイスラエルを霊的に悪変させてしまうからでした。(申命記7:1-6; 20:16-18)。また、神は侵略するイスラエル軍に制限を設けました。彼らはエドム(エサウの子孫)やモアブ(ロトの子孫)と戦ってはなりませんでした(申命記2:1-9)。また、イスラエルは敵対的な世界に生きていたため、神は彼らが最終的にはカナン人以外の国々に対して征服戦争や防衛戦争を戦わなければならないことも知っておられました。神は彼らに戦争に関する一定の規定を与え(申命記20:1-15)、可能な限り寛大に扱うという印象を受けますが(列王記第2章)、特定の状況下では、モアブ人とエドム人の敵にはかなり厳しい処置が取られました。ダビデの勝利は確かに主によってもたらされたものでした。(2サムエル 8:14)これは神が残虐行為を承認したということでしょうか?

神が許される戦争について論じる際には、「追い払う」という概念について言及しなければなりません。神はイスラエルに、神の御前における契約共同体の神聖な立場を守るために、イスラエルに悪い人々に戦いを命じました(申命記7:1-6)。「追い払う」には犠牲的な性質があります。神がイスラエル(あるいは他の国々)に対して行う懲罰的な戦争では、神は外国を裁きの手段として利用されました。この場合、神は「軍隊」を召集し、あるいは率いて戦いに臨む姿で描かれています(イザヤ書5:25-26、13:2-5、エレミヤ書1:14-15、ヨエル書2:11)。また、神はこれらの国々に対して、神の手段としての役割を認識しない場合の傲慢さや、残酷な行き過ぎを問いただされました。(イザヤ書10:5-19、47:5-7)

ハワイは重要軍事拠点です。中でもオアフ島には大規模基地が集中しています。かつて太平洋戦争の勃発となったハワイに戦争がないことを当然のように思わず、私たちが「平穏で落ち着いた生活を送る」(1テモテ2:1-7)ために、感謝をもって国内国外の全ての権威ある身分にある人々のために祈ることが私たちに求められています。

今月の証
「久しぶりのマキキへの里帰り」
Written by 黒田朔

今度帰るなら、マキキフェスティバルでうどん屋の手伝いを・・」が実現、フェスティバルの朝、行って見ると万端整い、驚いたのは車をパークしてペンサコラ通りを渡ろうとすると、車が徐行、停まってくれた。何と、お巡りさんが笑って立っていました。

コロナ開け、久しぶりのフェスティバルにマキキの皆さん、全員がニコニコ顔。うどん屋も新手の出汁づくり、プロ顔負けの天ぷらはやっぱり、プロが揚げており、売れ行き抜群!あっちでつまみ、こっちで座り込み、しているうちに、三男家族がやってきて、ファミリーリユニオンとなり、感謝、感謝!

「私たちは平均年齢87歳!」フラチームによる賛美に感動。

今回は、このマキキフェスティバルの話を聞いて、「一度、見て見たい」と言う岸和田のメンバーを連れてのマキキ訪問。

そのスケールの大きさ、準備の良さ、売り子とお客の楽しそうな姿、全体の雰囲気の明るさに圧倒されて一言、「すばらしい!」と大感動!礼拝では、「私たちは平均年齢87歳!」との挨拶で始まる鈴子さん率いるフラチームによる賛美に感動。藤浪先生のメッセージに教えられ、懐かしい仲間との再会を喜んだだけではなく、新しいお顔に会うことが出来感謝しました。続く、愛餐会のおいしい食事だけでなく、交わりのにぎやかさを楽しませてもらいました。

マキキを離れて既に、12年。この度の「里帰り」を通して、始まっている新しい歩みを感謝し、安心しました。この新しい交わりの力によってお城の教会の今後を引き継ぎ、育てて下さると信じて感謝しました。今、私たちは関空に近い阪南市で開拓伝道を始めて5年目の「阪南バイブルチャペル」の2階に住み、礼拝は10人余り、受洗者は5年間で一人と言う厳しさです。10年目まで奉仕するとすれば、何と89歳!何とか次に手渡す宣教のバトンを作ろうと祈り、働いています。ぜひお祈りください。

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