7月 18, 2023 | 天主閣便り

7&8月号 Vol.329【箴の言葉】

Written by 藤浪義孝牧師

今月は聖書の一巻「箴言」をご紹介します。古くから言い伝えられてきたことわざは、人生の教訓から学んだことに根ざして、実生活に役立たせるための知恵の言葉です。「箴言」(ヘブライ語タイトル名「ソロモンのことわざ」)は、一般のことわざとは異なり、天地を創造され万物を治めておられる神の知恵を取り上げています。日本語訳タイトル「箴言」は漢文からの転用語です。「箴言」の「箴」は、縫針の針を刺して「箴の言葉」すなわち、人の心を真理によって癒すという意味です。 「箴言」のはじめにこのような序文が書かれています。「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。 これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、 わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。 これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。」(箴言 1章1節〜6節)

「箴言」は、道徳基準を教え、個人生活はもちろんのこと、家族生活、職場、社会生活、産業、国家の分野においても、人が幸せな人生を歩むことができるために役に立つ指針を与え、公的そして私的な生活、特にビジネスや法廷においても誠実と正直を尽くして歩むようにと勧告しています。

箴言1章7節に本書の軸になることばが啓示されています。それは「主を恐れることは知恵の初めである」です。「主」とは、天地を創造された唯一の神のことで、人との関係を築くときに使われる名です。「主を恐れることは知識の初めである。」の「恐れ」は、「たいへんおそれかしこむ」という意味で、深い畏敬の念を抱くということです。恐れの感情は、通常、不安や、恐怖を引き起こすような不快なネガテブな感情です。私たちは、恐れを感じるものから離れるのが普通です。ところが、人を遠ざけていくはずの「恐れ」の感情が、逆に人を「創造主なる神」に近づけることになるとここで教えられています。

「苦しい時の神頼み」と言う日本故事のことわざがあります。「ふだん神を拝まない者が、災難にあったり困りぬいたりする時にだけ、神の助けをたよること。」(広辞苑)という意味です。困難に追い詰められた時や、不安や恐怖を引き起こすような状況に陥った時だけ、神に頼ろうとする身勝手さを表すことから、ネガテブな意味合いで使われますが、よく考えると、実に人間の本質をよく表している言葉であると思います。どうしようもできない状況に対する恐れの感情が創造主なる神に近づけるためのものになるのです。  子どもたちは、最も身近な父と母から「生きるすべ」を学んでいきます。若い人たちは、いろいろな専門分野の教師や指導者から教育を受け、技能を習い、熟練した人になります。同じように、人は誰でも幸せな人生を歩むためにはまことの知恵が必要です 「主を恐れることは知恵の初めである」を軸にする「箴言」は、神の知恵のことばです。

人の心に真理の光を照らして傷ついたところ示して癒し、心を鍛錬させ、自制心、識別力や洞察力を養い、正しくないことを改めさせ、滅びの道からいのちの道に導きます。そして、まことの神に信頼するように強く促しています。

私たちが上よりの知恵を受け、隣人と自分自身とに誠実に歩むことができますように。是非、今日から「箴言」をゆっくりと味わってください。

 

「今月の言葉」

悪い時が過ぎれば、良い時は必ず来る。
おしなべて事を成す人は必ず時の来るのを待つ。
あせらず、あわてず、静かに時の来るのを待つ。

松下幸之助 – 実業家、発明家、パナソニック創業者

今月の証 「神様の愛を過小評価していませんか?」
Written by 清水摂 宣教師

なんと、私は今年、マキキ聖城キリスト教会に送り出された宣教師となって30年目を迎えます!感謝と驚きの気持ちで一杯です。
私は、牧師家庭に生まれ育ち、幼い頃にイエス様のことを信じましたが、「救い」の素晴らしさに触れたのは大学卒業後でした。信仰告白をし、十字架による「救い」のギフトをいただいたものの、まるで包装紙に包んだまま心の片隅に忘れていたような感じでした。しかし、自分の罪の深さに改めて気付かされた時に、神様の愛の大きさ、深さ、真剣さに圧倒され悔い改めをしました。そして、この愛を受けた者として与えられた人生を用いてほしいと祈ったのが33年前のことです。

しかし、その1年後に今までの人生で最も辛い体験をした時、イエス様を信じることを辞める決意をしました。前述にあるようにはっきりと救いを体験していたので、神様が愛であるということは疑えません。ただ、私は神様の愛し方を理解できず、「これが神様の愛し方だったら、私は愛されたくない」と思ったのです。

その愛に気付かされて、ようやく私は、主の前に悔い改め、赦しを受け取らせていただきました。(ルカ22:32)

世の中には、愛なる神が私たちを見捨てたように感じる多くのことがあります。

病気、事故、死、戦争や自然災害。そのような状況の中、私たちには常に二つの選択肢があります。神を信頼するか、しないか。言い換えれば、理解できなくても神様を信じるか、理解できないから自分を信じるかの二択です。私は神様の愛を苦難の中で理解することができなかったので、信じることを辞める決意をしたのです。つまり、自分を信じることを選んだのです。そして、神様はそう選択する私を無理やり止めはされませんでした。まるで、放蕩息子が出ていく時に止めなかった父親のように。

しかし、随分時が経った後、私は自分の力では苦しみから解放されることはないと気づき、神様に助けを求めます。それは、自分の誤った選択に気づき、悔いてではなく、苦しみから解放されたいという自己中心的な動機でした。それでも神様は私をそのまま受け入れてくださいました。むしろ、愚かな決断をした私を諦めず、見捨てず、放蕩息子の父親がずっと息子の帰りを待っていたように、イエス様は私の信仰がなくならないように祈ってくださっていました。(ルカ22:32)その愛に気付かされて、ようやく私は、主の前に悔い改め、赦しを受け取らせていただきました。

体験した苦難の答えはいまだにありません。しかし、私はその答えを持っておられる父なる神様を信頼することを選ぶことができて平安が与えられました。やり直しをさせてくださる神様は、こんな私を宣教師として用いてくださり、30年になろうとしています。振り返ってみると、この30年の間にも何度私は神様を信じることを辞める選択をしてきたことか。しかし、その度に気付かされ、神様のもとに連れ戻していただいています。

そして、神様の救い、希望、平安、恵みが必要な人たちに、この愛を伝えていく働きに加えられていることを心から感謝しています。

編集後記

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