9月 7, 2023 | 天主閣便り

9月号-vol-330【傾聴】

Written by 藤浪義孝牧師

傾聴(けいちょう)とは、「耳を傾けて、熱心に聞くこと」(広辞苑)です。 先入観など、偏見なく聴くことは、積極的な傾聴から始まります。気候変動や地震や山火事による自然災害、人災、様々な生活問題で多くの人が肉体的・精神的な疲労に苛まれています。災難は、いつでもどこにでも起こりえます。場合によっては私たちの生活を破壊しうるものです。  何も対策を取らずに疲労を放置しておくと、それがどんどん蓄積してしまい、知らず知らずのうちに心の思いや感情を外に出すことができなくなってしまいます。精神的な疲労を感じた時、ありのままの姿で、心の思いや感情に耳を傾けてくれる友人がいることはその人にとって大きな力になります。 傾聴する人は、自分の心を相手に開いて、理解することだけを意図して聴くことが求められます。自分を防御することもなく、相手を直したり、指示したり、変えたりすることもなく、相手に耳を傾けるのです。話すことよりも沈黙を心して選び、間違ったことを言ってしまわないように自分を抑え、自分の意見やアドバイスなど、相手に伝えたい思いをおさえて、親身になって「聞く」のです。

「私もあなたのような体験をしたのですよ。」という類の言葉は、慰めの言葉ではありません。

かえって悲しませることになりかねません。人は誰でも相手よりも自分が偉いと思いがちですので、すぐに先入観や偏見に隙を与えてしまいます。自分の意見やアドバイスを伝えたい思いに駆られるのです。沈黙を大事にしません。先入観や偏見は相手の話を聞こえなくしてしまいます。己をつつしみ、先入観や偏見に隙を与えず、混じりけのない心で、相手の話を聴く人こそ、信頼できる友です。 思いもよらない試練に、トラウマを抱えることがあります。不安、悲しみ、怒り、恐れが波のように押し寄せてくるように感じます。「何が起こったのか」過去のネガティブなことを考え続けてしまいます。眠れなくなったり、考えがまとまらなかったり、フラッシュバックを起こしたり、悪い夢にうなされることもあります。そんな時、自分の感情をありのままに訴える必要があります。その訴えに心を開いて耳を傾けてくれる人がいることはどれほど大きな助けになるでしょうか。しかし、傾聴してくれる人がいない場合、どうしたら良いのでしょうか。
毎月、天主閣便りで私たちの教会員が実生活での体験をあかししてくださいます。誰一人として完璧で何一つ問題がないと主張している人はいないことにお気づきになられるでしょう。各々が証の中で感謝している頼みの綱とは何でしょうか。 私は、青年時代に聖書に出会いました。そして天地万物を創造され治めておられるまことの神がおられることは、不幸中の幸いであると確信するようになりました。このお方が私のことを一番よく知っておられ、心配してくださっていることを知った時、自分のありのままの姿で、このお方に近づき、隠すことなく悩み事や感情をこのお方に告げることができるようになりました。私たちを愛してくださる神は傾聴の主です。沈黙の大切さをよくご存知であられます。私たちの叫びを先入観や偏見なしに耳を傾け聴いて下さるお方なのです。 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5章7節)
私たちの生活や自然の生態系に様々な影響を及ぼす気温変動や対人関係の不和や様々な生活問題によって、怒りや不安や悲しみを感じている人があまりにも多く、それが家庭や社会に現れています。恐れに対処し認識することができないために、自分の感情を避けて、ストレスや忙しさに戻ってしまい、恐れや怒りに駆られて行動を起こしやすい状態になってしまいます。理性的な感覚や自己信頼を失ったりすることもあるでしょう。自分の感情をありのままに訴える必要があるのです。聖書には現実の苦悩に奮闘する人たちの感情がありのまま表現されています。 神について知ることはもちろんですが、神を個人的に知ること、そして神と親しい関係を持つことによって、互いに傾聴し合える関係を持つことができるようになることが聖書に教えられています。不穏な知らせが飛び交う最中、世界で最も頼りになるお方が確かにあなたのすぐ近くにおられます。
今月の証 「転機 ~クリスチャン生活40年を振り返ってみて」
Written by 相﨑 恵美
私は小学校4年生の時に、一足先にクリスチャンだった父に連れられてサンデースクールに行き、クリスチャンになりました。5年生の時に先生になろうと思い、6年生の時に学校の授業でローマ字を学んで自分の名前をアルファベットで書いた時に、不思議と将来は海外に住むことを決心したのです。高校一年生の時に、大学を卒業したら色々な国に住みながら教師をすることを前提で進路を決めました。それから30年以上の月日がたち、振り返ると小さい頃に夢見たことが叶っていました。アメリカ本土、ハワイ、イスラエル、ブラジル、スペイン、チリで高校数学を教えました。ハワイを拠点として、愛する夫とともに世界の70以上の国を旅行しました。 高校生と数学をこよなく愛する私が、なぜ教員をやめることにしたのか。スペインで教えていた時にかなり大きな講堂でマスクをしたままマイクなしで教えた時に声帯を痛めたのです。結局スペインでは学期末までマイクを使ってなんとか仕事を終わらせました。数ヶ月休みをとれば回復するかと思ったので半年休んだあとチリでの短期の仕事をとりましたが、結局、声(ティーチャーボイス)は元にもどらず、教員をやめることを決意しました。しかし、27年間、高校で数学を教えることしかしてこなかった私にいまさら何ができるのかと散々考えた末、スクールカウンセラーなら学生と関わりながらも大きな声を出さなくて良いかもしれないと思ったのです。
「みこころ行うに勝る喜びわれ持たじ われをば用いたまえ」

そのような時に、ちょうどHPUでカウンセリングのプログラムを終えたマキキのメンバー、フロイドゆきさんが相談にのって背中を押してくれました。そしてチリで通っていた教会の牧師夫人も驚くことに同じような時に同じ道に進むことに決めていて、お互いに励まし合うことができました。

チリの職場では6人くらいカウンセラーの先生がいて(なんと可愛くて賢い3匹のセラピードッグまで居ました!) アドバイスをしてくれました。カウンセリングを学ぶなら、クリスチャンの教授からクラスを取りたいと思ったので神学校が経営している大学院でお値段も懐に優しいクラスをとることに決めました。実習以外は100%オンライン。この年で今更大学院に戻ってもついていけるのか、2年間も働かないで経済的に本当にやっていけるのか、などの不安はもちろんあります。

そんなとき、基本中の基本ですが「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」のみことばを思い出し、「神の義を求める」という意味がわからないときでも何度も繰り返して、基本にかえっていつでも神様を第一にやっていきたいと思います。それと、いつでもマキキ教会と繋がっていられることは大変な励ましです。マキキフレンズからのラインやメールは感情的な距離をせばめてくれるし、ハワイに帰ってくると賛美チームや聖歌隊、会衆はいつでも何事もなかったかのように受け入れてくれるし、火曜日のミニチャーチや日曜日の聖書研究はいつどこにいても時間が合う限り参加できるので感謝しています。これから何が起こるかわからないけど、「みこころ行うに勝る喜びわれ持たじ われをば用いたまえ」と祈りながら日々生きていこうと思います。

関連記事

Related

10月号 Vol.342【敬老】

先月の休暇中、母を訪ねました。母は今年米寿を迎えました。一日一日と日を追って記憶力の低下や身体機能の低下が進んでいます。寝たきりになり、介護者に100%依存している母の姿に、とても悲しくなります。10年以上お世話になっている老人ホームを訪ねた際、母に敬意を表し、母の尊厳を守り続けてくれている介護士さんたちに感謝の気持ちを伝えました。 ある日、食堂で母に食事を与えるのを手伝っていたとき、他の高齢の入所者たちが、心のこもった温かいケアーで介護士さんたちから給仕してもらっている横で、私は聖書の一巻、レビ記19:32を思い出しました。...

続きを読む

9月号 Vol.341【御国が来ますように】

米国大統領選挙テレビ討論会が今月と来月に開催されます。他の国々にとって対岸の火事でない米国大統領選挙は、国内政治経済だけでなく、世界政治経済に大きな影響を与えるものです。これまで、アメリカ国民は、大統領候補者の資質と、候補者を支えるキープレイヤーチームの能力、そしていかに資金を集められる経営能力があるかを見極めてきました。今回のテレビ討論会は重要な国際問題や国内の課題の本質について深く掘り下げて議論を戦わせるでしょう。両大統領候補者とも、国民全体の心を動かし、力づける資質があることを示すために全力で取り組みます。...

続きを読む

8月号 Vol.340【人生はひとりでするものではない】

パリ・パラリンピック開催まであとわずかです。第二次世界大戦で負傷した兵士のためのリハビリテーションにスポーツを取り入れたことが発端となり、1948年ロンドンオリンピック大会時に車椅子選手のアーチェリー大会からパラリンピックは発展しました。困難なことがあってもあきらめず、支える人たちの懸命な支援とアドバイスに創意工夫と思考を凝らすアスリートたち。その姿は、新たなインスピレーションを私たちにもたらします。...

続きを読む