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2月 10, 2026 | 天主閣便り | コメント0件

1月号 Vol.356【揺れる情報の中で、揺れない心を】

Written by 藤浪義孝牧師

新年明けましておめでとうございます。 主の恵みと導きのうちに、2026年という新しい年を迎えることができましたことを、心より感謝いたします。 この恵みの中で、主任牧師のご引退により講壇が空いていた時期に、11月・12月の間、英語礼拝の講壇を担う務めが与えられ、アドベントの季節を、日本語会衆の皆さん、また英語会衆の皆さんと共に、御言葉と祈りをもって歩むことができたことを、心から神に感謝しています。英語会衆の温かい歓迎と祈り、そして礼拝への忠実なご参加は、私にとって大きな励ましとなりました。 また、今年1月20日より、ハワイ聖書学院Bible Institute of Hawai‘i(BIH)にて、日本語による聖書クラスが始まります。この学びは、すでに信仰を持っておられる方はもちろん、キリスト教信仰に関心をお持ちの方や、聖書を初めて学ぶ方にも開かれたものです。日本語を話されるご家族やご友人の中に関心を持っておられる方がおられましたら、ぜひご紹介いただければ幸いです。

さて、私たちが生きる現代社会は、もはや「情報過多」という言葉では言い表せない段階に入っています。SNSの即時性、生成AIの急速な普及、個人の嗜好に合わせて情報を選別するアルゴリズム──それらの発展により、私たちに届く情報は、量だけでなく速度や質、偏りの面でも大きく変化しました。

その結果、私たちは年々、安心よりも不安を、事実よりも感情を強く刺激する情報に触れる機会が増えています。経済の先行き不安、国際情勢の緊張、災害への懸念、社会の分断──こうした「揺れやすい話題」は必要以上に強調され、私たちの心を落ち着かなくさせます。2026年も、この傾向は続くことでしょう。 しかし、ここで覚えておきたいことがあります。情報は私たちの心を照らす「光」ではなく、時に向きを変える「風」のようなものだということです。風は強く、冷たく、予測不能な方向から吹くこともあります。けれども、まことの神に信頼する者が立つべき土台は、風に左右されるものではありません。

聖書・詩篇46篇はこう語ります。
「神はわたしたちの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある助け。」

世界がどれほど揺れても、社会が予期せぬ方向へ動いても、神の恵みと御手は揺らぐことがありません。むしろ、世の声があまりにも大きくなる時こそ、私たちは「静まる」必要があります。喧騒に心を奪われるのではなく、神が語られる静けさに耳を澄ますこと──それは、時代や文化を超えて信仰者が大切にしてきた姿勢です。

ヨーロッパの混乱の時代、また日本の江戸時代のキリスト者たちは、迫害や制限の中で、声高に信仰を主張するのではなく、静けさの中で祈りと御言葉を守り続けました。家庭の中で、また小さな集まりの中で、福音は慎み深く、しかし確かに受け継がれていったのです。

その静かな信仰の灯は、長い時を経て再び公に輝き、四国・高知へ、そして海を越えてハワイへと導かれました。こうしてこの地に「マキキ聖城キリスト教会」が誕生しました。江戸の静かな家々で守られた信仰が、太平洋を越え、教会を生み出す種となったのです。

今日、マキキ教会がハワイのみならず世界へと福音を届ける器として用いられていることは、この歴史の延長線上にあります。福音は必ずしも大きな声で語られる必要はありません。静かに主に従う生き方と、その言葉と行いを通して、深く、力強く伝わることがあるのです。 現代の情報社会を生きる私たちも、同じ真理の中を歩んでいます。「静まる」という選択は、混乱の時代を生き抜くための霊的・知的な力であり、その価値は今も変わりません。 2026年がどのような年になるのか、誰にも正確に見通すことはできません。しかし、この一年が主の御手の中にあることだけは確かです。社会のニュースがどれほど揺れても、教会は変わらず、「神がともにおられる」という希望を示す灯台であり続けます。 この便りを読んでくださったすべての方々の上に、神の平安と導きがありますように。 もし今、先行きへの不安や心の揺れを覚えておられるなら、その歩みの中で、静かな希望と確かな支えに出会う時が与えられますように。 この新しい一年が、恐れではなく希望をもって歩む年となり、一人ひとりの人生に、目には見えなくとも確かな恵みが注がれますことを、心から願っています。

今月の証
「本山ジュリア物語」

Written by 宣教部

「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい」(伝道者の書9章10節)および「愛をもって互いに仕えなさい」(ガラテヤ書5章13節)の御言葉をまさに身をもって実行なされた先生でした。本山先生の大きな望みは主の御言葉にありました。

ムーディ聖書学院の門に「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じる事のない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(第二テモテへの手紙2章15節)が刻まれてあります。

永遠に変わることのない神の御言葉を信じ受け入れ、一生懸命御言葉を学び、恥じることのない練達した働き人になって、神様に自分を捧げるように努めは励まれました。失われた魂のために重荷をもって一生懸命福音を宣べ伝え、人々、特に青年男女が主に導かれ、献身へと導かれ、日本各地へ送られました。

恥じる事のない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。

こんなエピソードもあります。ある人に本山先生をご紹介したとき、その人は「えっ!」とびっくりした声を上げ、しばらく声が出ませんでした。そして「失礼しました。本山先生のおうわさはよくお聞きしておりまししたが、てっきり男性の先生だと思っておりました。」と言われたのです。

本山先生の大きな望みは主イエス様のご来臨で、そのときには、しみもしわもない全く聖なる者として主をお迎えすることのできることでした。キリスト・イエスにおいて天上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っておられました。

本山先生の聖書には5つの冠が記されています。

  1. 栄冠の冠 神の御言葉を忠実に伝えるため(第一ペテロ5章2節~4節)
  2. 喜びの冠 魂を主に勝ち取るため(第一テサロニケ2章19節~20節)
  3. 不朽の冠 明確なキリスト者の証しのため(第一コリント9章25節~27節)
  4. 命の冠 試練と誘惑に立ち向かうため(ヤコブ書1章12節)
  5. 義の冠 主イエス・キリストの来臨を信じるため(第二テモテ4章8節)

これらの冠は自分の誉れのためでなく、主の御前に捧げるためのものです 主をあがめます
「私たちにではなく主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください」(試練115篇1節)

編集後記
今月から、私たちの信仰の大先輩、元山ジュリア宣教師のお話を皆さんにお届けします。あの時代に女性一人で、日本人にイエスさまの福音を伝えるためにハワイから旅発った先生を想うと、今の自分の信仰はなんと生ぬるいものであろうと情けなくなります。ジュリア先生の生涯を今一度皆さんで振り返ってみましょう【玉寄朋子】

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