woman with american themed scarf wrapped around her neck

12月 15, 2025 | 天主閣便り

12月号 Vol.355【寄り添う存在を求めて】

Written by 藤浪義孝牧師

不安の多い時代に、私たちはどこに安心や希望を見いだすことができるでしょうか。 未来が読めない時、経済的に苦しい時、そして心が疲れてしまう時、多くの人は「見えない大きな力」や「宇宙の調和」に思いを向けます。それは、現代社会の不安の中で、人が自然に求める心の反応なのかもしれません。しかし同時に、「大きな存在は感じるが、その愛はどこにあるのか」「日々の生活の中で確かなつながりを感じられない」と語る人も多くいます。 そのような思いに対して、聖書のイザヤ書には象徴的な言葉があります。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。」(イザヤ書9章6節)約2700年前に記されたこの言葉は、人の弱さや痛みに寄り添う存在が現れるという希望を示しています。その子は「不思議な助言者、力ある者、永遠の父、平和の君」と呼ばれ、人々が求めた理想の姿を象徴します。

聖書が語るのは、宇宙の法則や自然の力ではなく、「人の心に寄り添う存在」という視点です。遠く離れて見守るだけでなく、人の歩みに近づき、同じ世界で苦しみを理解する存在として描かれています。聖書はこれを「受肉」と呼び、「見えない愛が目に見える形で現れた出来事」と説明します。大きな存在が「自分たちで高みに来なさい」と言うのではなく、人のもとへ降りてくるという考え方は、他にあまり見られない独自の視点です。

多くの哲学や宗教は、人が努力して悟りや完成を目指す道を示します。しかし、聖書は「神のほうが先に人を愛し、人の世界へ入ってきた」と語ります。人が強いからでも清らかだからでもなく、ただ愛することを選んだ――その愛が、ひとりの子の誕生として示されたのだとされています。

未来が見えにくい今の時代、聖書のメッセージは静かに響きます。「神は遠い存在ではなく、共におられる。」聖書はその存在を「インマヌエル」(神はともにおられる方)と呼びます。感情や状況が揺れても、愛は揺らがないというメッセージは、多くの人に安心を与えてきました。

もしあなたが「見えない愛を信じるのは難しい」「宇宙に神秘を感じても、それが自分への愛とは思えない」と感じるなら、この古い言葉は、新しい光を投げかけるかもしれません。あなたを見つめ、共に歩む存在がいる――聖書は、その愛が目に見える形となった出来事として、ひとりのみどりごの誕生を語っています。

現代に生きる私たちは、情報に囲まれながらも心の底では深いつながりを求めています。人は孤独を感じる時、誰かに理解されたい、受け入れられたいという願いを抱きます。どれほど技術が進歩しても、この根源的な願いは変わりません。そこで語られてきた「寄り添う存在」というイメージは、単なる宗教的概念ではなく、人が長い歴史の中で求め続けてきた心の拠りどころといえるでしょう。

また、愛が形を持つという考え方は、日常生活にも置き換えることができます。家族や友人の思いやり、さりげない励まし、困難を共に乗り越える姿勢など、目に見える行動を通して愛は実感されます。

イザヤ書のメッセージは、そのような身近な経験にも通じており、特別な信仰を持たない人にとっても一つの示唆となるかもしれません。さらに、不確実性の中で生きる私たちには、安心できる物語や価値観が必要です。

文化や社会が変化しても、人が求める「守られている感覚」や「人生に意味があるという感触」は普遍的です。イザヤ書の言葉は、そうした願いに応える確かなしるしとして受け取ることができます。それは、人が孤独や不安を抱えるときに、心の奥に届く静かなメッセージです。

どんなに先が見えなくても、自分を理解しようとする存在がいると感じることは、大きな支えとなります。古代の人々はその思いを言葉にし、理想の姿として「平和をもたらす者」を描きました。私たちもまた、日々の中で小さな平和や希望の光を見いだすことができます。それは人とのつながりの中に、親切な行いの中に、そして互いを思いやる心の中に生まれます。 この古い言葉が今日も読み継がれているのは、人がどれほど時代を超えても、心の深い部分で同じものを求めているからかもしれません。それは、愛、平和、寄り添い、そして希望です。私たちがそれぞれの場所で感じる不安や迷いは、決して弱さではありません。それは、人がより良い生き方を求め、より深い安心を探している証でもあります。 聖書の言葉に耳を傾けることは、私たち自身の内側にある思いを映し出す鏡となり、明日へ進むための静かな力を与えてくれることがあります。そして、そのような言葉に触れるとき、人は自分が一人ではないと感じる瞬間を持つことができます。たとえ状況が変わらなくても、心に小さな明かりが灯ることがあります。その明かりは、私たちが前へ進む勇気をそっと支えてくれるのです。それは静かで確かな希望となるでしょう。 今年のクリスマス、もし心に少しでも思いが湧くなら、お近くのキリスト教会を訪れてみてください。静かな礼拝の中で、聖書が語る「あなたに寄り添うお方」の存在に触れていただけることでしょう。あなたの日々に、穏やかな光と希望が届けられますように。
今月の証 「グアテマラ宣教の旅」
Written by ヒガ朗子
私はマキキ教会ホノルル教会合同での 「第一回Guatemala 短期 宣教旅行」に参加して元気に帰ってきました。去年の夏頃、宣教部のミーティングで「Guatemala宣教旅行」のことが議題に上げられました。「Guatemalaに行けない?」と、聞かれた時、なんとなくこれは私の番かな?と自然に思わされ、参加をすぐ表明しました。 しかし宣教旅行というものは、宣教師、牧師、パウロさんが行くものという認識でおりましたので、みことばの蓄えもない自分に、しかも言葉の通じない所で何ができるというのか?全く分かりませんでした。 でも、それこそ祈りの力に頼る時としよう、と夫のクレイトンと決めました。 前情報として、Casa Angelina の子供達はただHugを求めていて、実際にする奉仕は、その子供達ちや高齢の未亡人の住まいの為に、コンクリートのブロックを使って家を建てたり、歩道を作ったりする 土木作業だと聞いて、それならできるんじゃないかと思っていたのですが、出発の1週間前に2人ともひどく体調を崩してしまい、誇れる体力もなくなり、不安なまま出発しました。
全世界に出ていき全ての造られた者に 福音を宣べ伝えなさい

私たちが訪れた場所は、20年前にアメリカ人のパスター Ivan TaitとKimberly Tait夫妻が30人の子供を引き取って始めた孤児院です。 パスターの子供たちの家族もその運営に関わって、20年経った今160人の子どもたちが安心して暮らす、あの広大な土地で私たちが見てきたことは、心から神様を信じている人たちの祈りに、神様が誠実に応えられた具体的な奇跡の御業ばかりでした。 今回イリノイ州とテキサス州からのクリスチャン併せて40人のチームとして、共に働き、主を崇めました。 ハワイから私たち9人はCasa Angelinaにやって来た初めての”日本人ミッショナリー”となりました。

毎朝、バスで到着するのをたくさんの子ども達が待ち構えてくれて、バスから降りるやいなや、子ども達は抱きついてきたり、手を引っ張って遊ぼうと誘ってくれます。 言葉も通じないのに屈託のない笑顔で、子犬のようにからまってきて、本当に愛くるしく可愛い子ども達ばかりなのです。 到着してしばらく子ども達と遊んだ後、奉仕を始める前に、私たちは礼拝で霊的に整えられます。 礼拝の中では、Casa Angelinaで神様の愛によって救われ成長した子が、毎朝一人、証をしてくれました。 本人達の口から、幼い頃の逃げ場のない、繰り返される虐待の中で生きてきた様子を聞きながら、なぜあなたがそんな目に、 という憤りで震える思いと、よく生きていてくれた、と今あるその笑顔が、ますます尊く愛おしくなりました。 彼らそれぞれの成長の記録の写真も合わせて映し出されるのですが、入所当初の怯えた目の幼子が、少しずつ癒されて、イエス様に導かれ、教育も受けて、表情も自信に満ちていく成長の様子に、ご自分に導かれて、子どもたちの立ち上がる力をお支えになった神様への感謝の涙が止まりませんでした。

ここに来る子供達の90%は性的虐待を受け、貧困とネグレクトや虐待の怖さの中をしのいで生きて来たので、入所当初はトラウマの中にいて、何が起こっているのかも分からず、笑顔や子供らしさは全くないそうです。 入所してすぐは、他の子供たちとは違う家で過ごさせ、時間をかけて子供達が癒されていくのを信じ、ただ祈って待つことから始まると言っていました。 その週も14歳の妊婦を含む7人兄弟を受け入れたばかりとのことでした。 私がCasa Angelinaにいる間に、縄跳びをしたり、ハグをしたり、お互いわからないスペイン語と英語で話をした子供達ちも、今のその笑顔からは想像もできない、それぞれの辛い過去があり、それを資料を通して知っていくと、手の温もりを感じた一人一人の子どもが愛おしくてたまりませんでした。 私はパスターIvanの娘のBethanyが朝のメッセージの中でした話にも心揺さぶられました。

彼女はイエス様が大好きでイエス様のお気に入りになる、’His favoriteになること’が目標でした。 イエス様に会いたくて会いたくて、ある日夢の中で、光の中にいらっしゃるイエス様にやっと会えた時、「ここにいます!」と喜んで目の前に立っているのに、イエス様は彼女の後ろを覗かれて、「1人で来たの?」と、残念そうに仰られたそうです。 目が覚めた時に彼女は、今まで大事だった’Be His favorite’から、これからは’Love His favorite’、つまりイエス様の愛する人たちを、イエス様に導いていく信仰生活に移ることを気づかされた、と証してくれました。 私自身、子供の頃から神様に喜ばれる者になりたくて、それを、信仰生活としてきました。 でも、福音を伝えるということは、日曜学校にたくさんの友達を連れて行った無邪気な子どもの頃のようにはできなくなり、マルコ16:15にある「全世界に出ていき全ての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」というイエス様のみことばに応答しない今のまま天の国にあげられたら、私はイエス様の胸に思い切り飛び込めるのか?というチクリとした痛みを持ってきました。

今回なにより、自分の身をCasa Angelinaに置かなければ体感できなかったのは、私の信じる神様は、私が思うサイズなんかではないということ。 ピリピ2:13「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」 このみことば通り、祈りつつ、みこころのままに働き、その答えとして、ただの土の山だった場所で、たくさんの奇跡を見せてもらってきたこのCasa Angelinaの人たちが信じている、同じ神様を自分も信じていることに、心から畏れと喜びを感じました。到着するまでは、Guatemalaに行くこと自体に怖さがあり、かなりの犠牲を覚悟していたのですが、振り返ってみて、私は一体何を恐れていたのかわかりません。

Casa Angelinaで私がいただいてきたものは、力強い祈りを通して起こる数々の奇跡の御業のシェア、 私たちのいるこの地球上つなぎめのない神様のご臨在の実感、 その計り知れない大きさと全能さに包まれている究極の安心感でした。 皆さんをご一緒にお連れできなかったのが申し訳ないくらい、祝福と恵みの実体験に感謝しかありません。 私たちが1週間滞在していたアンティグアは、街全体がユネスコの世界遺産に登録されているのにふさわしく、風光明媚な美しい街で、穏やかで安全な所でした。 人も優しくて、すれ違う時、道を譲ってくれたり、ほほえみかけてくれたりしました。 その作業中やバスでの移動中のおしゃべりから、ハワイチームだけでなく、他のチームの人たちとも深い話になって証をシェアしたり、祈り合うという素敵な祝福もありました。何かさしだせるなら、力を出して奉仕をしようと思ってグアテマラまで行ってみたら、 ‘祈りの力’と、’奇跡’と、’神様の栄光’を目の前で見せてもらえる祝福をいただくだけでした。

大きい目のグアテマラの子ども達の愛らしい笑顔とつないだ手の温もりは、今も私の心をあったかく満たしてくれています。 私はHugをいっぱいしてあげようとGuatemalaに行ったんですが、いっぱいHugをしてもらって来たんです。 与えようと思って行ったら、神様のあったかい愛をこどもたちを通していっぱいもらうだけでした。 ヘブル書13:21 これは私たちがGuatemalaに向かう前から祈りはじめ、これから先も祈り続ける聖句です。 「平和の神があらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように また、御前でみこころに叶うことを、イエスキリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。 栄光が世々限りなくイエスキリストにありますように。アーメン。」

旅立つ前から祈って支えてくださった兄弟姉妹の皆様、みなさんの祈りがなければ私たちのtripはこんなにスムースで安全で祝福に満たされたものにはなりませんでした。 今回の宣教旅行に導いてくださり、たくさんの祝福をくださった神様が、私に証できる機会を与えてくださったことに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

編集後記
今年1年も天主閣便りを支えてくださってありがとうございました.毎月聖書からのメッセージ、また生きた証、神様からのメッセージが一人でも多くの方に伝わりますように、祈りながら準備をさせていただきました。【玉寄朋子】

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