6月 4, 2024 | 天主閣便り

6月号 Vol.338【石垣に基礎】

Written by 藤浪義孝牧師

日本の古城(高知城)に似せて建設されたマキキ聖城キリスト教会堂は、天地創造主なるまことの神を礼拝する場として「天主閣」と呼ばれています。人生のあらゆる領域において、神を畏れ、神の現実と存在を認識し、神の啓示である聖書に従った信仰の先輩たちが築いた「天主閣」を見上げるたびに「知恵の書」と呼ばれる箴言を思います。 「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」(箴言25章28節) 日本の古城は、何百年もの間、自然災害や人災もものともせず城跡にそびえている石垣の上に築かれています。どの城廓の石垣(城壁)も、石垣を築く際には確かな基礎工事を行うことが不可欠でした。水に強い胴木(どうぎ)の上に根石(ねいし)を据え、積み石を積み、後ろ側の隙間には大小の飼石(かいいし)を入れて固定し、そして石垣の表面の隙間には間石(あいいし)を詰め、そのほか様々な工夫をこらし、最上部まで時間をかけて積んでいきました。外側を見るだけでは決してわからない石垣の底や内部に基礎を固めることの重大さを思わされるのです。その結果、熊本城の「奇跡の一本石垣」からも察する通り、堅固な石垣が築き上げられたのでした。石垣は、敵の手掛かり足掛かりになるのを防ぎ、城郭を攻めてくる敵から人々を守るために当時の技術者たちの力を結集して築かれました。

「箴言」25章28節は、城壁に例えて私たち読者に人生の教訓を与えています。

もし城壁が朽ち果てれば、城壁内にいる人たちの安全は保証できません。差し迫った攻撃に対して無防備になってしまいます。同じように、人が自制心を欠くとき、その人は、脆弱な立場に置かれます。城壁が城を守るように、自己管理は人を守ります。自己規律が生活の中に組み込まれていないとき、あるいはそれが悪化するとき、自分よがりになる反面、傷つきやすくなり、不安になりやすくなります。周りの人たちの言動に過剰に反応し、精神的な負担を感じるようになってしまいます。また、自制に欠けるとき、自己の欲望の充足をもっぱら念頭に置いて行動しやすくなり、言葉を意識せず、人を傷つけてしまいます。  パウロは、闘技者を例えて次のように書いています。「闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」(コリント第二9:25)また別の手紙で「高齢の人たちは、信仰と慈愛と忍耐とに富み、慎み深く、節制し、健全であるように」(テトスへの手紙2:2)と自制の大事さを教えています。

「自分の心を制する」ことは、知恵のある生き方です。他人のことを考慮せず、自分を押し通したり、欲望におぼれて度を越すことがないように自己を管理する人は、強固な石垣を築くために基礎工事に着手する人のようです。その人は、愛を持って真実を語ります。他人を慰め、励まします。悪には善を返し、自分を押し倒そうとする敵には親切を示します。他人の悪口を決して言いません。家庭内に平和をもたらすために、自分の責任を棚に上げず、自分の行動に責任を持ち、忍耐強くなることを志して、平和を常に意識し、配偶者や家族の励ましとなるように努めます。

このように自分の心を制する人は、悪い知らせや悲観的なニュースが飛び交う社会でも、現実を認め、前向きの姿勢を保ち、悪い知らせではなく、良い知らせを分かち合うことが大事であることを意識します。正しいことを堅く守り、不健全な方法で人に合わせたり、妥協したり、真理から揺らぐことを拒否します。常に謙遜であり、神を畏れることを学び、自分を高めるのではなく、他者を高めます。

アリストテレスは自制心について「自らに勝つことこそ最も難しい勝利」と呼びましたが、その通りでしょう。だからこそ、時間をかけて大工が念入りに基礎工事を手がけるように、自己管理を積み重ねていくことによって、様々な災害にも耐えながら威風堂々とそびえる城壁のような堅固な品性が養われていきます。

毎週日曜日の朝、神を畏れる敬虔な人たちが、マキキ聖城キリスト教会堂の天主閣内に集まり、天地創造主なるまことの神を礼拝しています。どの人も、神をほめたたえる証し人になりたいと願っています。

神を賛美する会衆の麗しい姿は、堅固な城壁に守られている住民のようです。自制心を鍛える最初の一歩は、規律正しく週に一度、神を畏れ敬う人たちと一緒に神を礼拝することです。

今月の証 「神の家族となって。。。」
Written by ブロートン・慶子
マキキ聖城キリスト教会に通い始めて数ヶ月が経った頃、私は洗礼を受けることを決心しました。アラモアナビーチでイースターという特別な日の朝に受洗してから日が浅いですが、その時の景色や感情はこれからも特別な思い出となるでしょう。 マキキ教会に初めて訪れた際の印象は、穏やかな雰囲気に包まれた美しい場所でした。最初は自分のような未熟な者が来て良いのか、間違った行動をして浮いてしまわないか、話しかけてくださる方に失礼がないかと非常に緊張していました。しかし、初めてお会いした方々が親族のように見返りを求めずおおらかに温かい笑顔で迎えてくれたのです。礼拝の内容には自分の知識不足で理解できないことも多く戸惑いも感じましたが、ときに藤浪牧師が語られるお言葉は、まさに私が求めていたものであり、心に響きました。 実を言うと、私はそれまで宗教というものに対してあまり良いイメージを持っていませんでした。仏教でごく普通の日本の家庭で育ち、宗教は生活の一部ではありましたが、特に強い信仰心があったわけではありません。宗教が人々にどのような影響を与えるのかについて触れたこともなく、むしろニュースなどで見る宗教絡みのトラブルや対立、執拗な勧誘などから距離を置いていました。
「神様の愛を感じることで、仲間とのつながりを再確認し、自分自身をよりポジティブに捉えることができる」

マキキ教会に来る前に、他の教会にもいくつか足を運んだことがありました。英語の勉強のためや友人・知人の勧めで訪れた教会では、礼拝やバイブルスタディに参加したものの、なぜか虚しい気持ちになることが多かったのです。どちらでも歓迎はされましたが、神様の存在や隣人との助け合いを実感することはありませんでした。漠然とした疑問や不安を抱えたまま、また別の方向に進もうとしていました。

しかし、マキキ教会に来てからはその感覚が一変しました。日本人の方々や日本語を話す方が集う教会に初めて訪れることができたということにも加えて、神様の愛、そして隣人の愛や助けを実際に感じることができ、心に安らぎが広がりました。英語部の方々も明るく挨拶をしてくださり、関わる皆さんのことが好きになり、私は他の教会ではなくマキキ聖城教会のメンバーになることができて本当に感謝しています。教会のコミュニティーが大きな支えとなり、もうひとつの帰る場所ができたと感じました。

教会に通ううちに、私は自然と全人類のために犠牲になったイエス・キリストの行動を敬い、隣人を助け合う文化の素晴らしさを学び、実感しました。教会を紹介してくれた苑美さんは私がハワイに来て初めて会った同い年くらいの友人で、辛い時に建前でない実直なアドバイスをくれたり、日々躍進する姿を見て、それが神様のおかげと話していたのも洗礼の後押しをしてくれました。教会に来る前に共通の友人がいてお会いしたことのあった朋子さんなどもきっかけをくれ、受洗前は迷いや葛藤もありましたが、いろいろとつまずいていた最中だったので「流されてみてもいいのかも」とわくわくし、声をかけてくださった方々のおかげで決心がつきました。

教会内の様々な活動を通じて、私はハワイでなんとなく過ごしていたら出会えなかった多くの方々と交流できたことに感謝しています。皆さんが支え合い励まし合う姿を見て、私も自然とその一員となることができました。

洗礼式の当日は早朝にもかかわらず、皆さんが各々準備して見守ってくださり、畏れ多い気持ちとともに心から感謝の気持ちでいっぱいでした。美しい朝日を見ながら礼拝を行い、神様の存在を意識しました。静かな海辺での祈りと賛美歌は感慨深く、自分自身が新しくなるような時を体験したようでした。洗礼の儀式を通じて、私は自分の罪を洗い流し、神様の愛に包まれることを願いました。水に浸かるその瞬間、心も体も洗われるような軽くなったような感覚がありました。

洗礼を受ける前の私は、常に何かに追われているように多くのストレスや心配で苦しく、ハワイでは特に孤独を感じていたのです。しかし、洗礼を受けてからというもの、心の拠りどころができました。神様の愛を感じることで、仲間とのつながりを再確認し、自分自身をよりポジティブに捉えることができるようになり、日々を前向きに過ごす軌道修正の機会となりました。

教会の活動に積極的に参加することで、他者への感謝や思いやりの心も改めて思い起こすようになっています。マキキ教会に訪れてからの経験は、私の生活に大きな変化をもたらしました。

今後も教会の活動を通じて、愛と感謝の気持ちを大事にしながら、神様の導きに従って歩んでいきたいと思います。まだまだ学ぶことが多い若輩者ですが、この洗礼で得た平安と喜びを心に留めながら、皆様のご指導のもとに日々努力してまいります。

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