woman with american themed scarf wrapped around her neck

6月 29, 2026 | 天主閣便り | コメント0件

6月号 Vol.361【忘れられない愛、与えられた平和】

Written by 藤浪義孝牧師

先月のメモリアルデーの週末、私は、103歳でイエス・キリストを信じて洗礼を受けられ、105歳で天に召されたドリス・ニッタ姉妹の納骨式を、パンチボウル国立太平洋記念墓地にて執り行いました。 メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)を前にした記念墓地には、多くの国旗が立てられ、ご家族がそれぞれの大切な方々を偲んでおられました。墓地では、亡くなられた方の写真を胸に抱き、花束を手にしながら、静かに歩いておられるご家族の姿がありました。年配のご夫婦が静かに墓標の前に立ち、しばらく言葉を交わさずにおられる姿がありました。また、小さな子どもが国旗を見つめながら家族と歩いている姿も目に留まりました。 その姿を見ながら、私は、人が誰かを愛し、忘れまいとする思いの深さを改めて感じました。だからこそ、「わたしはあなたを忘れない」と語られる神のことばは、私たちに大きな慰めを与えるのだと思います。人は、愛する存在を忘れたくないと願います。その記憶を心に抱きながら、生きていこうとします。 そして私は、その姿を見ながら、キリストが今も私たちを忘れず、共にいてくださるということを思わされました。

その静かで厳かな空気の中で、私は改めて、「平和」がどれほど大きな犠牲の上に与えられているのかを思わされました。

納骨式が行われる式場では、バグパイプによる “Amazing Grace” が奏でられました。その音色が記念墓地全体に静かに響き渡る中、ご家族と共に賛美しながら、私は深く心に留めていました。 キリストの犠牲によって、私たちは神との平和を与えられただけでなく、聖霊が共にいてくださるという恵みが与えられている、ということです。聖書には、このように記されています。「キリストこそ、私たちの平和です。」(エペソ2:14)イエス・キリストは、ただ平和を“与える方”ではありません。主ご自身が、私たちの平和なのです。
今年は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)の直後にメモリアルデーを迎えました。弟子たちに聖霊が注がれたことを覚えるこの季節に、私は、「キリストが共におられる平安」について、改めて深く考えさせられました。現代社会では、多くの人が平安を求めながら生きています。 安心、成功、評価、自分の居場所――何かを得ることで心の平安を得ようとします。また、人に受け入れられるために、無理をして自分を証明し続けたり、本来の自分とは違う姿に合わせようとして、疲れてしまうこともあります。 しかしキリストの平安は、「自分で自分の価値を作り出さなければならない」という重荷から、私たちを解放します。神は、私たちをすでに愛し、知り、招いてくださっているからです。キリストの平安は、世の与える平安とは異なります。それは十字架という犠牲を通して与えられた平安です。そして復活されたキリストは、今も聖霊によって私たちと共にいてくださいます。それは、人生から問題がなくなるという意味ではありません。
不安や悲しみ、弱さの中にあっても、主が共にいてくださるという平安です。 国立太平洋記念墓地に並ぶ、時を経た墓標を見つめながら、私は、犠牲の記憶と共に、キリストにある希望を思わされました。 キリストの犠牲によって、死は最後の言葉ではなくなりました。そして、聖霊によって、私たちは決して一人ではありません。 この季節、私たち一人ひとりが、自分自身の安心や一時的な平安だけではなく、キリストご自身が与えてくださる平安を求めて歩むことができますように。そして教会が、疲れや分断の多いこの時代に、キリストの平和を運ぶ群れとして歩むことができますように。

今月の証
「信仰のしゃもじを渡す」

Written by 黒田朔 元日語部牧師(1983年~2011年)

「しゃもじを渡したい」(信仰のバトンを次の世代に渡したい)これが、1983年、高齢だけれど元気な一世の皆さんに私たち7人家族が迎えられた理由でした。以来、マキキでの在任中の28年間、マキキ日語部の働きは「しゃもじを渡す」一世のお世話と「しゃもじを受け取る」新一世への伝道に、マキキ英語部は2世、3世や他国のバックグランドを持つ英語を話す人々へのミニストリーを続けました。 当時の日語部は一世の皆さんによる礼拝、祈祷会、お仕事会などを中心に、在宅メンバーの訪問が次第に増えてくる大切で、楽しい働きでした。しかし、在宅ケアの必要の増加に応えるために週2日のデイケア「のぞみの会」を始めました。この「のぞみの会」は「お年寄りによるお年寄りのためのミニストリー」として、つまり、お年寄りから「包丁を取り上げない」で、シニアになっても働きたい人には働くチャンスを、ケアを必要としている人にはケアを教会として提供することが目的でスタートし、牧師が若い人たちへの伝道に集中できるように、エルダリーミニストリの主事を迎え、10年後には高齢化の波を迎える英語部にバトンする予定で始めました。
「信仰のバトンを次の世代に渡したい」

「しゃもじを受け取る」若い人たちへの伝道は今も活躍しておられる元「翼の蔭の会」を軸に継続しつつ、新しくは国際結婚をしている人々を対象に教会の外で始めた「カップルズ・ミーテイング」はワイキキで働く人々への励ましと情報交換の場となり、実を結んでいきました。

中々うまく行かなかったのが「ミニチャーチ」です。日曜日クリスチャンではなく、信仰の日常化を励ますために週半ばに、生活の現場でみことばと祈り触れる機会を作ろうとしましたが、うまく根付きませんでした。そんな時、日本人宣教に重荷を感じていたホープチャペルのラルフ・モア牧師の励ましの中で「ミニチャーチ」を採り入れることにした時には、「色々やりましたが、先生、今度はうまく行きますか」と言われましたが、1990年代後半から参加者が増え、ミニチャーチの数も20を超すほどまでに、又、新しい人がミニチャーチを通して救われるようになり、「同じことを続けていただけなのに、これは神様の働きだ」と感謝しました。その蔭にどこかで、何時も開かれていた小さな家庭集会、1年365日、27年間、毎日欠かしたことのない「希望のダイアル」などを通して、徐々にではありますがしゃもじは次の世代へと手渡されて行きました。 これらを支える働きとしては、日系教会の伝道への仲の良い協力関係とそれに支えられたキリスト教ラジオ番組「心に光を」と「連盟アワー」や恒例となった「クリスマスコンサート」がありました。 それらに加え、私たち夫婦はマキキの英語部が送り出したジュリア本山宣教師をはじめ、キャサリン安原、河島民江、喜友名みどりなど宣教師によって導かれ、岸和田で救われた英語部の祈りの実でしたから、英語部のハワイカイ開拓にも参加するなど英語部の皆さんにも良く受け入れられたことも幸いでした。更に、不思議で感謝なことは現藤浪義孝牧師も又、その流れの中で岸和田で救われた一人です。 こうして奥村多喜衛牧師に育てられた一世の皆さんと共に「しゃもじを渡す」働きに迎えられた私たちでしたが、創立100周年を記念に「しゃもじを渡す次世代を育てるプロジェクト」として日英両語部共通ミニストリーとして始めた「レインボーコネクション」が今年も、高知からの学生を迎え、マキキからのアンバサダーチームを送り出すことが出来ています。 この様に、神様の働きの中で、1983年、私たちが一世から手渡された信仰のしゃもじは、2026年、日語部では三世の手に、英語部では四世の手に握られ、尚、次の世代へと渡されて行こうとしています。かつての移民の島、ハワイがこれからどのような変化と歴史を辿ろうとも、「信仰のしゃもじを渡し続ける」神の教会としてマキキ聖城キリスト教会が活かされ、用いられますようにお祈りします。

関連記事

Related

5月号 Vol.360【睡眠 ・ 魂の安息】

5月号 Vol.360【睡眠 ・ 魂の安息】

今朝は、どのような目覚めでしたでしょうか。ぐっすり眠れた朝だったでしょうか。それとも、少し疲れが残っているでしょうか。もしかすると昨夜、なかなか眠れなかったという方もおられるかもしれません。ベッドに入っても、気がつけばスマートフォンを手に取り、しばらく画面を見続けていた、、、そんな夜を過ごされた方もおられるのではないでしょうか。...

続きを読む
4月号 Vol.359【受難週と復活祭 ・十字架に現された神の愛】

4月号 Vol.359【受難週と復活祭 ・十字架に現された神の愛】

先月、ハワイではコナ嵐があり、多くの地域で停電や浸水の被害がありました。不自由な思いをされた方も多かったと思います。このような出来事の中で、私たちは改めて、当たり前のように過ごしている日常の尊さを感じさせられます。 人生には、思いがけない出来事が起こります。病気や将来への不安、大切な人との別れなど、「どうしてこんなことが」と思うような出来事に直面することがあります。順調に進んでいると思っていた道が、突然止まってしまうように感じることもあります。...

続きを読む
3月号 Vol.358【受難節のただ中で ― 恵みに向きを変える】

3月号 Vol.358【受難節のただ中で ― 恵みに向きを変える】

ある水曜日に、額に小さな十字架の印をつけている人を見かけたことはありませんか。「灰の水曜日」と呼ばれるその日はすでに過ぎましたが、教会は今、受難節(レント)という季節の中を歩んでいます。 受難節とは、イエス・キリストが十字架へと向かわれた歩みを覚えながら、自分自身の生き方を神の前で静かに見つめ直す時です。イースター(復活祭)までのおよそ40日間、私たちは少し立ち止まり、心の向きを整えます。...

続きを読む